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「愛国心」を否定するインテリたちへ 東京大学名誉教授のメッセージ

1/2(木) 11:31配信

デイリー新潮

 令和という新しい時代を迎えるにあたっての、皇室のさまざまな行事を見て、あらためて日本人であることに何らかの感慨を抱いた人は少なくないだろう。無数の日の丸が振られる光景を見て、自らの中にある愛国心を確認することもできたかもしれない。

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 一方で、愛国心という言葉は、往々にして警戒の対象となるようだ。朝日新聞などでは「愛国心」と戦前の体制を結び付けて心配するのが一つの定番となっている。また、どちらかといえば愛国心を唱える人よりも「危険性を懸念する」という人のほうがインテリっぽい扱いを受ける傾向もあるようだ。そのため、「日本が好き」と口にすることに多少の抵抗をおぼえる、という日本人もいる。

 こうした風潮は戦後長らく続いており、今も根強いものがある。しかし、これらは一種のファッションに過ぎない、と厳しく批判するのは、平川祐弘・東京大学名誉教授である。比較文化史家である平川氏は、著書『日本人に生まれて、まあよかった』の中で、ファッションとしての自国批判の心理を読み解き、その問題点を指摘している。日本人であることを再認識する場面の多い正月にこそ読むべきその文章の一部を同書から抜粋してみよう(以下、引用はすべて同書より)

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「『朝日新聞』だけを定期購読し、岩波ブックレット系の出版物を中心に読み、センター試験を受けた程度の歴史知識を身につけて大学に進学するような人は、かなりのパーセントで、日本について否定的な考え方に傾くらしい。いいかえると日本の主要メディアの刺戟を受けて暮らしていると、頭のいい人ほど天皇制民主主義の国日本について不満気な口を利くようになる。すくなくともそうした口吻(こうふん)(※口ぶり)を洩らしはじめる。国際的な統計を見ると、自国を肯定的に捉えていない人の割合が日本だけ突出しています。

 もっとも愛国心のみが強調されるのはおおむね専制国家ですから、そのことを踏まえて考えると、日本国民であるより世界市民であれ、という理想が説かれているこの国の現状は一見結構です。自国を批判する方にも立派な方は大勢おられます。

 しかし日本の悪口をいうのが格好いい、という知的ファッションにのっているだけの人も結構いる。愛国を口にするのは野暮(やぼ)である、というのは青年子女の心理で、ある意味では健全なのかもしれません。

 それというのも、右翼には、純情だが頭の悪い人もいて、ひたすら日本を礼賛(らいさん)します。万邦無比(ばんぽうむひ)(※すべての国のなかでもっともすぐれている)とはさすがに言わなくなったが、外国語も習わなくていい、外国へも行かない。そんな愛国主義者の中から、大東亜戦争は正しかった、などと三分(さんぶ)の理を主張するお山の大将が出てくるようでは困ります。

 あんな悲惨な敗戦に日本を導いた軍部がなんで正しいはずがあるものか。一体、日本の軍の学校では世界の中の日本についてどんな教育を授け、どんな認識をしていたのか。彼らは井の中の蛙だったのではないか。私はまずその点で旧軍部を批判したい。

 そんな右翼の盲目的愛国主義を左翼の人が叩いて批判するのは結構です。戦前戦中の日本の行動には、相手国の行動にも大いに問題はありましたが、肯定しがたい点が多々あった。だがしかし、そのような日本に批判的な日本人の中から、自国に対して冷淡な知的青年子女がふえるというのはいかがなものか。

 日本批判が高ずると純粋な若者には日本人として自己嫌悪が生じる。日本否定に走ります。一番の問題点は、そうした否定的精神には、しばしばある錯覚(さっかく)がひそんでいることです。反日を唱(とな)えれば、それがインターナショナリズムだと思っている。それを唱えるだけで本人が世界に通用する人間になるわけではないのですが、それについての自覚が不足しています。自国を批判すれば、それで国際主義者になれるわけではない。外国で優れた友人知己(ちき)に恵まれて「もてる」人になるためには、それだけの人間的実力がなければなりません。ところが今のところふえているのはおおむね根無(ねな)し草の日本人で、国内でももてない、ましてや世界市民として外国で通用する実力はおよそない。

 それが戦後民主主義世代といわれる人々のかなりの部分の実態ではないでしょうか。

 (略)

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最終更新:1/2(木) 11:31
デイリー新潮

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