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氷川きよしの『ボヘミアン・ラプソディ』に涙した夜

1/9(木) 10:48配信

日経ARIA

音楽評論家、作詞家として50年以上のキャリアを持つ湯川れい子さん。国内のみならず世界中のスターやアーティストと親交を深めてきました。そんな湯川さんによる自筆のコラムです。世界中のアーティストとの交流、昨今のエンターテインメントについて考えていること、さまざまな土地を旅して感じていることなどをつづってもらいます。

【関連画像】イベントから帰ってきた夜、氷川さんと仮レコーディングをしたときの様子

●「長良の親分さん」に育てられた氷川きよしさん

 氷川きよしさんが週刊誌でインタビューに、自分がトランスジェンダーであることを告白したとかでだいぶ騒がしいようですが、長い付き合いの私も、そこまでのプライバシーはよく知りません。

 というか、趣味、嗜好の自由が許されるかどうかという問題よりも、スターの「イメージ」には商品価値があるために、周囲が放っておいてはくれないということのほうが、氷川さんにとってはずっとつらかったのだと思います。

 氷川さんが22歳のとき、いわゆる演歌畑の「股旅物」でデビューし、いきなり第33回日本作詩大賞と、第42回日本レコード大賞最優秀新人賞を手に入れることができたのは、音楽的なプロデュース能力と、並外れたビジネスセンスを持った芸能プロモーターで音楽プロデューサーの長良じゅん(本名・神林義忠)さんが、氷川さんのマネジメントをしていらしたからです。

 長良さんは、1950年代末には雪村いづみさんや弘田三枝子さんのマネジャーとして私は面識がありましたし、1963年には長良事務所をオープンして独立。私の生涯のよき相談役であり親友だった作家で作詞家の川内康範先生とは終生お親しかったので、長良さんがマネジメントをしていた氷川さんのことも、私もデビュー当時から親しみを込めて見てきました。

 そんな芸能界の重鎮でもあった「長良の親分さん」が、8年前にハワイのゴルフ場で事故のために他界。以降、長良さんのご長男の神林義弘さんが社長業を継ぎ、それからは皆で力を合わせて、長良さんが残された氷川さんや水森かおりさん、山川豊さんや田川寿美さんなどの「宝物」を守り、育てて来られたのです。

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最終更新:1/9(木) 10:48
日経ARIA

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