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日々1時間に4回近く噴火、世界有数の火山島に暮らす人々

1/12(日) 7:21配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

「地中海の灯台」とも呼ばれるストロンボリ。イタリア、シチリア島の北方にあって、七つの火山島で形成されるエオリア諸島の一つだ。面積は米ニューヨークのマンハッタン島の4分の1ほど。海上に出ている部分は標高926メートルとあまり高くないが、今も世界有数の活発な火山で、2500年近くにわたって溶岩を吐き出し続けている。

ギャラリー:シチリア沖 世界遺産の火山島と、そこに暮らす人々 写真21点

 ストロンボリと周辺の火山島は、2000年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。火山学にとって重要というのがその理由だ。毎年夏になると、黒い砂がきらめくビーチで過ごそうと、旅行者が船で訪れる。夕暮れどきには、多いときには500人もの旅行者が4時間をかけてストロンボリの頂上を目指す。夜の暗闇の中で花火のように爆発する溶岩を見ることが目当てだ。

 2019年7月、ストロンボリで激しい突発的な噴火が起こり、噴煙は約4800メートルの高さに達した。高温の火山れきや火山灰が降り注ぎ、南西の斜面で山火事が発生。住民や旅行者を救命ボートで避難させる事態となった。ガイドツアーが始まっていない時期だったが、登山者1人が死亡し、数人が負傷した。

 それから間もない8月28日には、ストロンボリで大噴火が起きる。山頂の火口から急勾配のシャーラ・デル・フオコ(「火の小川」)で火砕流が発生。海にまで達し、小規模だが津波が引き起こされた。イタリア市民保護局はストロンボリが不安定な状態にあると宣言し、3合目にあたる標高約290メートルから先の立ち入りを禁止した。

 死者が出て、安全に関して国が動いたことは、火山ツアーの危険性を浮き彫りにした。19年12月にニュージーランドのプレンティ湾に浮かぶホワイト島(マオリ名はファカアリ島)の噴火で犠牲になった人々も火山ツアー参加者だった。火口のすぐそばにいた人が複数亡くなっている。ホワイト島の場合、噴火そのものは取り立てて珍しいものではなかったが、火口のそばに人がいたことが惨事を招いた。

 旅行者は自ら危険に飛び込むべきではないだろう。そこで、私は19年11月にストロンボリを訪ねることにした。山頂からの360度の眺望や、火口を覗き込まなくても、ストロンボリを楽しめるかを確認したかったのだ。

 地元のツアー会社マグマトレックのベアトリス・ファッシ氏は「夏に噴火が起きて以降、火山ツアーは激減した」と話す。「ツアーを続けるにしても、内容を根本から変えないといけませんね」

 島の北端にはサン・ビチェンソ、サン・バルトロ、ピシタという3つの村があり、島民のほとんどが暮らしている。なお、1930年の大噴火では6人が犠牲になったこともあり、かつて5000人を数えた人口は、今では10分の1の500人以下まで減っている。

 ファッシ氏と私は、夕方、狭い道を早足でこの3つの村を通り過ぎた。辺りが暗くなる前に、シャーラ・デル・フオコを迂回(うかい)するルートにたどり着くことが目標だったのだ。ストロンボリ独特の白く塗られた家に、色鮮やかなブーゲンビリアやノウゼンカズラ、ルリマツリが飾られ、薄暗い道を明るく照らし出してくれる。スクーターや小さな三輪トラックのヘッドライトがときおり通過するが、ストロンボリには街灯も自家用車もない。プンタ・ラブロンゾに到着すると、噴火の様子が見えるようになった。私はヘッドランプを装着し、島の伝説的なガイド、マリオ・(ザザ・)ザイア氏に会うため山を登った。ザイア氏は、火山の歴史にも詳しい。

 登山道はジグザグで、1951年に火山岩で舗装された。ロベルト・ロッセリーニ監督、イングリッド・バーグマン主演の映画「ストロンボリ/神の土地」が、この地で撮影され、公開された翌年のことだ。登っている間、ほぼ15分ごとに噴火し、雷のようなごう音とともに、真っ赤なマグマが吐き出す。見知らぬ世界にまさに一人きり。私は驚くほど穏やかな気持ちだった。

 1時間30分かけて、展望台に到着。ごう音と炎を楽しむ約10人の火山ファンに合流した。そこで、犬を連れ、顎ひげを生やし、2本のつえを持った、早足で歩く人物を見つけた。私は「ザザさん!」と声を掛ける。こうして、あとは皆で山を下りた。

「私たちは爆弾の上に暮らしています」とマリオ・ザザ・ザイア氏は口を開いた。

「怖くないのですか?」と尋ねると、むしろ果てしない畏敬の念を抱いていると、ザイア氏は答えた。ティレニア海の底に成層火山を形成し、噴火のたび、円すい台形の山を積み上げてきた永続的な力に対する畏敬なのだろう。

 安全な状況では、ザイア氏はツアーガイドとして、一日2度、登頂することがある。でも、疲れることも飽きることもないとザイア氏は話す。大きな危険を伴うストロンボリ登山だが、ザイア氏は登るたびに元気をもらっていると感じている。

 ストロンボリの住人たちは未来の世代のため、島での暮らしを持続可能にすることに力を注いでいる。ビンチェンソ・クゾリト氏は4年前、マルバジーア種のブドウを栽培し始めた。18世紀、ストロンボリの住人たちは段々畑のような火山の斜面でブドウを育てていたが、1880年、ブドウネアブラムシという害虫が大流行し、ブドウ栽培の文化は途絶えてしまった。

 こうしたこともあって、その後、生活の手段を海に求めるようになったり、オーストラリアなど別の土地へと移り住んでいった。だが、3人の息子とアグリツーリズム事業を営むクゾリト氏は、2020年9月、ワインの試飲会と収穫祭を計画中だ。クゾリト氏は、ほかにも協同組合アティーバ・ストロンボリのメンバーとして、一度は諦められたオリーブの木をもう一度、島で復活させようとするプロジェクトにも取り組んでいる。

 サルバトーレ・ルッソ氏は建設作業員として働きながら、夜になると、自宅の横の広いアトリエにこもり、火山が吐き出した玄武岩で彫刻を創作している。ルッソ氏のアトリエはツアーの行き先としても人気だ。ツアーでは、彼の作品と創作の様子を見学できる。

 ストロンボリの漁師たちは夜、小さな木造船から網を投げ、早朝、網にかかった魚介類を海岸沿いで販売する。料理人のフランク・ウタノ氏は元漁師だ。毎朝、現役の漁師から魚介類を仕入れ、港の向かいにある自身の店リストランテ・ダ・ズーロで提供している。名物料理はアンチョビ、地元産のニンニク、チェリートマト、トウガラシを生パスタとあえたスパゲッティ・アラ・ストロンボリアーナ。独創的な前菜、息をのむような眺め、居心地の良さも魅力だ。夏にストロンボリを訪れ、そのたびに彼の店に足しげく通う旅行者もいるほどだ。

 ストロンボリ滞在の最終日に、マグマトレックの最年少ガイド、マニュエル・オリーバ氏の案内で、島の北にある3つの村を見下ろすネイチャーハイキングに出掛けた。ここで生まれ育ったオリーバ氏は、これからもストロンボリで暮らすつもりだ。海岸を浸食から守ることと、島に新しい名産を作るため、海岸近くの土地でマンゴーとアボカドを栽培している。

 標高290メートルの展望台に到着した後、オリーバ氏は警備のためにとどまり、私は数日前の夜と同じジグザグ道を下山した。太陽の光が降り注ぎ、暗闇に隠されていたものがはっきり見えた。斜面には、ウチワサボテンや節だらけのオリーブが生えている。眼下では、コバルト色の海がきらめく。

 私もザイア氏のように、火山に再び登ったことで元気をもらった。と同時に、ストロンボリに登頂しなくても満足感を得られると気付いた。火山は下から眺めた方が美しいこともある。私は空を見ながら感謝した。

 伊フィレンツェ大学で地球物理学と火山物理学の教授を務めるマウリツィオ・リペペ氏によれば、私がストロンボリを離れた翌日、警戒レベルはオレンジから黄色に引き下げられたという。リペペ氏は市民保護局の研究者として、火山の危険度評価に携わっている。

 リペペ氏は取材に対し、「火山が少しずつ正常に戻っているということです」と説明した。「ただ、噴火活動は依然として活発なため警戒が必要です。現在、旅行者の立ち入りを許可する場所、高さを検討しているところです」。19年7月と8月の2回の噴火が示唆しているのは、この60年間は火山の活動度が比較的低い時期だったこと、1959年以前のように、今後もっと活発になる可能性があることだ。

 リペペ氏は次のように述べた。「島をどのように利用すべきか、どうすれば火山の訪問を楽しく安全なものにできるかを考え直す時期が来たのかもしれません」

文=GIANNELLA M. GARRETT/訳=米井香織

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