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「負けない強さを自分のものにして、金メダルを獲りたい」競輪選手・新田祐大

1/12(日) 12:00配信

Tarzan Web

少年のころから夢見ていたオリンピック金メダル。競輪とケイリンの間で揺れながら、突き進んできた。いよいよ今年、東京での実現を目指している。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.779より全文掲載)

そもそも、ケイリンについて。

その非凡な才能は、誰もが認めるところであった。しかし、現実に世界へ羽ばたくためには、少々時間がかかってしまった。ケイリンの新田祐大である。2018年に開催されたアジア競技会の男子ケイリン。世界的な大会で、初めて2位に入る。そして、19年の2月に行われた世界選手権でも、見事銀メダルを獲得した。

33歳、選手として決して若くはない。だが、この出来事で、新田は世界に顔を売ったことになる。まずは、この成果について語ってもらうことにした。

「日本代表として考えたときには、よかったというか、おめでとうでいいと思います。というのは、僕らがオリンピックに行く場合には、まず枠(その国が出場できる選手の数)を取らないといけなくて、それが海外の大会の―世界選手権が一番重要なんですが―ポイントの累計で決まる。そういう意味では、銀メダルの獲得は、日本チームにとって、東京オリンピックへの弾みがひとつついたと考えています」

実は、新田の世界選手権での銀メダルは、2018年に日本人として25年ぶりに2位になった河端朋之に続き、2年連続の表彰であった。そして、前年に河端がトラックで戦っている姿を、新田は目の前で見ていたのだ。そのときの様子を思い出しながら言葉を続ける。

「河端さんはスゴイなぁって鳥肌が立ちました。今まで世界という実感がなかったのに、可能性が見えてきた。ただ、僕らと河端さんでは温度差があった。彼は銀メダルだったのが悔しかったんでしょうね。喜べばいいのにって思ったんですが、自分が銀メダルを獲ったら、ああこういうことかってわかった(笑)。

世界最高の舞台でメダルの可能性がある。6人で走るので、確率は2分の1です。そうなると金メダルを獲りたいという欲と、メダルを獲らなくてはという責任感がせめぎ合ってしまう。自分はレースの最後の最後で考えてしまった。外から差せば金かもしれない。ただ外へ出て、その間を他の選手に次々抜かれたらメダルが獲れない。一瞬、そのことが頭をよぎって動きが遅れた。それで、銀。悔しいですね、やっぱり」

ただ、このような攻防がケイリンの大きな魅力でもある。

ケイリンについて少し説明したい。この競技は日本の公営競技である競輪をもとにした自転車競技だ。だが、2つはまったく別物と言っていい。

まずはトラックの長さ。競輪ではバンクと呼び、333m~500mであるのに対し、ケイリンは250m。カントと呼ばれる傾斜角も周長が長い競輪は約30度であるのに対し、ケイリンは約45度だ。

そして、何より大きく違うのはライン戦と個人戦ということ。競輪では風の影響を避けるなどの理由から、主に同じ地域の選手同士が協力して、一列に並ぶラインを形成する。本番ではこのラインが2~3本でき、勝負が展開していく。

一方、ケイリンは個人個人が互いを牽制しつつ、競技が進んでいく。つまり、選手個人の能力がより試されることになる。新田はこの2つの異なる競技に、同時に取り組んでいるのである。

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最終更新:1/12(日) 12:00
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