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羽生結弦と同郷で同い年、鈴木潤。ソニーのエンジニアに華麗なる転身。

1/12(日) 20:01配信

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 たおやかな演技の中に、1つのことをやり遂げた者が持つ強さがにじみ出ていた。

 昨年12月の全日本フィギュアスケート選手権。今季限りで競技人生に別れを告げる鈴木潤(北海道大学)が“最後の全日本”に挑んだ。鈴木は北海道大学大学院工学院の修士2年生。大学1年生だった2014年から'19年まで6年連続(通算7度)の全日本選手権出場だった。

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 12月20日のショートプログラムではジャンプにミスが出たものの、スピンでレベル4を獲得して63・49点。17位でフリーに進出した。

 音楽は『練習曲 ホ長調 Op.10-3』。『別れの曲』の名で知られるショパンのピアノ曲だ。ステップシークエンスではひざまずいて手のひらでリンクに触れる動きを入れ、「今まで滑ってきた感謝を氷に伝えました」と笑みを浮かべた。

高1のとき、全日本選手権に初出場。

 1994年5月8日に宮城県仙台市で生まれ、4歳でフィギュアスケートを始めた。羽生結弦とは同郷で同い年。田中刑事、日野龍樹とも同学年で、ノービス時代から表彰台を競う間柄だった。

 中3になるタイミングで札幌に引っ越し、高校は進学校の札幌南に進んだ。高1のとき、長野で開催された全日本選手権に初出場。熱気溢れる大会の雰囲気に刺激を受けた鈴木は、公式練習中に初めてトリプルルッツを着氷する。

 中3から跳び始めて未完成のまま受験勉強に入り、高1になってからも成功していなかった最後の課題。それを、スッとクリアした。出場選手たちがハイレベルなジャンプを次々と跳んでいる様子を見て、目で学んでいたのだろう。全日本という舞台が持つパワーを実感した瞬間だった。以後、全日本選手権は鈴木の「青春」の道しるべとなっていった。

北大工学部に進学して、学業と両立。

 大学は北大のみを受験した。まさかの一浪となったが、二度目の受験の時期に'14年ソチ五輪があり、羽生結弦が金メダルを獲った。

 「またあそこに戻りたい」

 その思いが原動力となる。北大工学部に進学した後は、厳しい練習環境やけがに悩まされながらも学業とスケートを両立し、学部の4年間と大学院の2年間の計6年間、全日本選手権に連続出場した。

 「僕は根っからの負けず嫌い。大きな舞台を経験するたびに、もっと高いレベルで競い合いたいという思いが出てくる。他の人がやっていないことをやりたいという思いや、自分の演技に対して観客がリアクションしてくれる喜びも原動力でした」 

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最終更新:1/12(日) 21:56
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