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「動物園の檻」の中で見世物にされた“ディオンヌ五つ子姉妹”─この悲劇が伝えること

1/13(月) 11:40配信

クーリエ・ジャポン

1934年5月にカナダで誕生した「ディオンヌ家の五つ子姉妹」は、世界で初めて全員が幼児期以降まで成長した“奇跡”の五つ子として注目を浴びた。だがその裏には、世間の見世物として育てられ、搾取され続けた“悲劇”のストーリーがあった。
1934年5月28日の朝、カナダのオンタリオ州コルベイユの農場で、一卵性の五つ子姉妹が誕生した。五つ子を取り上げたアラン・ロイ・デフォー医師は、すぐさまそのニュースを触れてまわった。

まず、五つ子のおじを見つけると、弟夫婦が5人の子供の親から10人の子供の親になったことを告げた。それから隣町の郵便局まで行き、居合わせた全員に話した。その後、地元の新聞に知らせようとしたが、すでに五つ子のおじが第一報を入れていた。

ノースベイ・ナゲット紙の編集長はこの驚くべきニュースをただちに通信社へ報告すると同時に、記者とカメラマンを五つ子の生まれた農場へ送った。

こうして生まれて6時間も経たないうちに、ディオンヌ家の五つ子、イヴォンヌ、アネット、セシル、エミリー、マリーは写真に撮られて全世界に報じられることになった。

五つ子は体重不足で危険な状態にあったし、母親も命がけの出産を終えたばかりだったが、赤ん坊は温かな編み籠の中から取り出され、呆然としている母親の傍らに寝かせられて撮影されたのである。

五つ子をシカゴ万博に出展!?

当初は、新聞や雑誌がディオンヌ家の五つ子のことを書きたてたのは幸いしたように思われた。シカゴとトロントの記者は温水式保育器を持ってきてくれ、そのおかげで赤ん坊の命が助かったのはまず間違いないだろう(ディオンヌ家は貧しくはなかったが、農場の家には電気が通っていなかった)。遠くの病院からは母乳が届けられ、赤十字社は24時間体制で看護チームを派遣してくれた。

だが、数日のうちに、家の周囲には何千人という見物人が集まり、窓からのぞきこんだり一家の畑を駐車場に変えてしまったりした。記者たちも家の中や外をうろつき回っていた。

一方、五つ子の父親オリヴァ・ディオンヌは、大恐慌のさなかに5人も子供が増え、医療費やら何やらをどうやって払っていけばいいのだろうと悩んでいた。

そこで、司祭のところへ行き、「お金をあげるから五つ子を大勢の人に見せてはどうか」という話があるのだが、これを受けるべきかと相談した。すると司祭は、自分がマネージャーになってやろうと申し出た。

1週間もせずに、数万ドルの契約が結ばれた。大恐慌のさなかに数万ドルは大金だ。オリヴァは、五つ子の健康が回復したらシカゴ万国博覧会に半年間出ると同意したのだった。

父親はすぐに後悔して契約を取り消そうとしたが、シカゴの興行主らは受け付けなかった。その間にも五つ子の健康状態は悪化の一途をたどり、体重が減り始めた。デフォー医師と看護師は家の中の一室を仕切って五つ子の看護にあて、誰も中に入れようとしなかった。両親でさえ、遠目に見ることしかできなかった。

シカゴの興行主から契約の履行を迫られたオリヴァと妻のエルジールに、オンタリオ州司法当局は一つの解決案を提示した。2年間の期限付きで五つ子の養育権を赤十字社に譲り渡すことだ。赤十字社は興行主らに対して何の法的義務も負っていないからである。赤十字は五つ子の看護のために、ディオンヌ家の向かいに最先端の病院の建設まで約束した。

病院に移されると、五つ子は無菌室に隔離されてしまい、両親が我が子と過ごすことはますます難しくなった。赤ん坊に会えるときも必ず病院の関係者が立ち会った。

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最終更新:1/13(月) 11:40
クーリエ・ジャポン

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