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90年代阪神BEST9は? 92年のV争いに敗れ、あとは「暗黒時代」へ/プロ野球回顧録

1/14(火) 16:02配信

週刊ベースボールONLINE

近くて遠い90年代プロ野球――。いまから20年以上前、各球団ではどのようなことが起こっていたのか。プロ野球が熱かった90年代を12球団ごとに振り返る。

野村克也が語る“新庄剛志”「48歳になる人間を、戦力として獲る球団はないだろう」

シーズン終盤一時はトップも

 80年代は「栄光と転落の時代」であり、90年代は「暗黒の時代」だった。なにせ、この10年間で最下位が6度もある。逆に、Aクラスは1度だけ。そのたったの一度の2位は、ニューウェーブによる一瞬の輝きによるものだったが、当時の中村勝広監督は名将になる絶好機を逃した。村山実監督からバトンを受け継いだ中村監督は、2年連続の最下位に沈み、3年目の92年は進退のかかったシーズンだった。タブーを破る、一つの決断がチームを変えていく。

「監督生命を懸けた」

 中村監督は不振の岡田彰布に代打を起用。それも実績のない亀山務を。早大の先輩・後輩という間柄でも遠慮しなかった。岡田は荒れたが、亀山はそこから台頭していく。積極果敢なヘッドスライディングでチームを活気づけると、今度は新庄剛志がスター街道をまっしぐら。仲田幸司、猪俣隆、湯舟敏郎、中込伸、野田浩司ら先発が安定し、抑えには田村勤がいた。湯舟はノーヒットノーランの快挙も達成(6月14日、広島戦)。外国人選手もオマリー、パチョレックが活躍して、シーズン終盤に一時はトップに立った。

 しかし、不運が重なる。八木裕の幻のホームラン(9月11日、ヤクルト戦)もあった。田村の故障離脱も響いた。久万俊二郎オーナーから「作戦はスカタン」とのちに酷評されるように、中村監督の采配には冴えがなく、ヤクルトにうっちゃられてしまうのだ。

 さらに中村監督は愚かな妄想にとりつかれてしまう。今度こそと意気込む93年に向けて、攻撃力向上を重視するあまりに、先発要員の野田をオリックスへ放出し、代わりにFA権取得を翌年に控えていた松永浩美を獲得したのだ。

 このトレードが大失敗だった。野田はオリックス1年目に17勝を挙げ、95、96年の優勝にも貢献。一方の松永は「甲子園の土は幼稚園の砂場みたいや」と捨てゼリフを吐いて、たった1年でダイエー(現ソフトバンク)へFA移籍していった。せっかく整備できたはずの投手陣も崩壊した。

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最終更新:1/15(水) 13:00
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