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青森山田の10番“ヒデ”を育んだ武田家の温かさ。12歳の息子が親元を離れた時、父が抱いた感情は…

1/14(火) 18:23配信

SOCCER DIGEST Web

「入学式の日、嫁に『本当にこれで良かったのかな』って言ったら…」

 青森山田の門を叩いてから早6年。最後の大舞台で優勝を果たし、有終の美を飾るはずだった。しかし、結果は――。2点リードからの逆転負け。自ら奪った2点目は空砲となり、準優勝で幕を閉じた。その胸中は悔しさに溢れていたはずだ。だが、彼はキャプテンとして最後まで顔を上げ、誰からも信頼を集める男になっていた。

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 1月13日に行なわれた高校サッカー選手権の決勝。青森山田の10番を背負う武田英寿は静岡学園に2−3で敗れ、高校サッカーに別れを告げた。

「これまでのサッカー人生で一番悔しかった。今後、同じ負け方をせず、ずっと勝ち続けられるように努力をしたい」

 悔しさを滲ませながら、言葉を紡いだ武田。そんな高校最後の一戦をスタンドから、観戦していた人がいる。父親の修一さんだ。

「サッカーで活躍していることより、6年間よく頑張って、成長してくれました。それが一番嬉しい」

 多感な時期を離れて暮らした中で、修一さんは見違えるような姿の息子に目を細めた。

 サッカー好きな両親が中田英寿氏のファンだった影響で、“英寿”と名付けられた少年がサッカーを始めたのは幼稚園の時。近所の友達と一緒にソニー仙台のスクールに通うと、一気にめり込んだ。そこからサッカー好きの父からサポートを受けながら、努力を重ねていく。

 小学校3年生からはベガルタ仙台に加わり、より高いレベルでプレーに没頭した。だが、小学校5年生の秋。地元の中野FCに戻る決断を下した。当時を振り返り、修一さんはこう振り返る。

「ベガルタ仙台を辞めた理由が送迎を必要していたからなんです。練習に妹もお姉ちゃんも付き合ってくれていて、本人はそれが申し訳ないと思っていたんです。なので、自分で通えるところに行きたいと考えていたみたい」

 その決断が武田を青森山田と引き合わせることになる。

「他のチームにも誘っていただいたのですが、中野FCのスタッフに相談したら、全国を目指すなら青森山田だと助言をいただいたんです。なので、ヒデに『青森山田に行くことが全国大会に出る近道かもしれない』と伝えました。最初は1年中ボールを蹴れる環境があるチームからの誘いに、本人も気持ちが傾いていたのですが、全国で活躍することを考えて青森に行く道を自ら選びました」(修一さん)

 とはいえ、12歳で親元を離れる決断は相当な覚悟がいる。それは本人だけではなく、家族も同じだ。修一さんも快く送り出した一方で、不安や虚無感があったという。

「ずっとヒデを追いかけて試合を見に行って、ビデオを撮ったりもしていた。それがなくなったので、空虚感はありましたよね。それもあって、僕は最初相当寂しかったんですよ。入学式の日、嫁に『本当にこれで良かったのかな』って言ったら、『決めたことを今更言ってどうするの』って、怒られました(笑)」

 そんな心配をよそに武田は即座に仲間と打ち解ける。入学した翌日から仲間とボールを蹴り、ホームシックとは無縁の生活を送った。

 そこから武田は6年間サッカーに没頭。中学時代は実家に年2回帰省し、会う度に逞しさが増す息子の姿に喜んだ。高校に入るとインターハイや選手権に出場する関係でほとんど帰れなくなったが、たまに見に行く試合で成長を感じた。

「いつのまにか、自分のことが自分でできるようになっていました」

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最終更新:1/14(火) 19:07
SOCCER DIGEST Web

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