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丹波哲郎さんはなぜ、75歳で「大霊界」への没頭をやめたのか

1/14(火) 14:01配信

現代ビジネス

 日本一コートが似合った「我らがボス」こと丹波哲郎。なぜ、ボスは霊界の世界に没入し、晩年「死」に思いを馳せていたのか。その生き方には、人生100年時代を幸せに全うするためのヒントがあった。

死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い

霊界への傾倒

 丹波哲郎さん('06年、84歳没)が70歳になったのは、'92年。肝煎りの映画『丹波哲郎の大霊界死んだらどうなる』の公開から3年後のことだ。丹波さんの息子であり、『大霊界』で主役を演じた丹波義隆氏が語る。

 「60代後半から70歳にかけての親父は本当に楽しそうでした。特に『大霊界』では、親父自らが総監督として指揮をとっていましたし、毎日生き生きとしていました」

 それまで、『キイハンター』('68年~'73年・TBS系)や『Gメン'75』('75年~'82年・同)で刑事たちのまとめ役を演じるなど「ボス」というイメージが強かった丹波さんだが、『大霊界』の制作現場でも、良くも悪くもやはり「ボス」だったという。

 「たとえば私が出演しているシーンで、背景に鳥のさえずりが入っていました。親父に言わせると、人間と動物の『あの世』は別々なので、霊界で鳥の鳴き声が聞こえるのはおかしい。そのため『鳥のさえずりだけ消せ』と命令が出て、録音部が悪戦苦闘して取り去った。

 その後、親父のナレーションを入れることになったんですが、今度は『あの世へ行くと、やがて鳥の声が静まり……』とか言い出したりして。みんな、『エッ、鳥はいないんじゃないの』って(笑)。そんなふうに『大霊界』は作られました」(義隆氏)

 そのころの丹波さんは、ひたすらに自分の夢を追いかけていた。周囲はそれに振り回されつつも、愛すべきボスとして丹波さんの夢に付き合い続けた。

 霊界話は周囲から、丹波さんの「持ち芸」のように思われていた。盟友の千葉真一氏も、楽しそうにこう振り返っている。

 「丹波さんは『キイハンター』の撮影中も雑談でしょっちゅう霊界話をしていました。冬の夜中の撮影で、丹波さんと火鉢を囲んでいると、『幽霊はなぁ……』と始まる。『またか! 』と思うんだけど、なぜか最後まで聞いてしまう。毎回面白かった」

 丹波さんの夢と趣味が結晶した『大霊界』は、配給9億円超えの大ヒットを記録。続編も公開され、シリーズは丹波さんの代名詞にもなった。

 「ただアメリカ映画の『ゴースト』(死んでしまった男性が、霊になって恋人を守る作品)を親父に見せた時はズッコケましたよ。『見たほうがいい』って勧めたら見に行って、『俺は、本当はああいう映画を作りたかったんだ』って言う(笑)。

 『「大霊界」と全然違うだろう。俺も、ああいう主役をやりたかったよ』って言い返しましたけど」(前出・義隆氏)

 自由に気ままに、昭和を代表した大スターらしく奔放で豪放に生きたように見える丹波さん。しかし、本当にそれだけだったのか。

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最終更新:1/14(火) 14:01
現代ビジネス

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