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渡邉恒雄(読売新聞主筆)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

1/14(火) 5:55配信

デイリー新潮

 あまりに名高い「読売のドン」である。朝日、毎日の後塵を拝していた同紙をトップに導く原動力となり、社長としては部数を1千万部に乗せた。一方、政治記者としては、政治家たちと深く交わり、政策にも政局にも絡んで政治の方向性を決めてきた。御年93歳、ナベツネの回想。

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佐藤 盟友だった中曽根康弘元首相が亡くなりました。渡邉さんは、「親の死と同様のショック」という悲痛なコメントを出されていました。

渡邉 もう1年以上前になるのか、最後に僕の所へ来た時には、耳が遠く、自分では歩けず車椅子だったね。連れてきた秘書が耳元で、僕が話すことを大きな声で伝えている。話をするには通訳が必要だった。

佐藤 101歳でお亡くなりになっていますから、100歳前くらいの時ですね。

渡邉 中曽根さん、晩年に自宅でひっくりかえって右腕の骨を折ったんだ。その頃ステッキがないと歩けなくなっていて、それを持つ肝心の右腕が折れてしまった。そのあたりから具合が悪くて、だんだん外に出なくなった。中曽根さんもそうだったけれども、93歳になると、最初に耳が遠くなる。その次は足だ。僕も中曽根さんに似てきたな。

佐藤 いやいや、しっかりされていますよ。

渡邉 彼が陣笠代議士、僕が平記者の時からの付き合いだよ。いろいろ話をしたけれど、中曽根さんは全部、政治の話だ。彼と猥談をしてもダメ、興味ないんだよ。奥さん一筋で、二号さんを持たない政治家は、彼と安倍総理くらいのものじゃないかね(笑)。

佐藤 それだけ政治に集中していたということでしょう。

渡邉 そうなんでしょうね。家族はとても仲良しだった。昔は、議員宿舎の8畳1間に親2人子供3人と女中さん1人の6人で暮らしていた。お金がないから料亭に行けなくて、夜、女中さん起こして、彼女の布団の上にお盆を置いて、その上に徳利を載せて飲んだ。そばじゃ子供がスヤスヤ寝てる。ある時、中曽根さんがベルサイユ宮殿のような豪華な所に引っ越したから来てくれ、というので行ってみたら、新しい議員宿舎で、8畳6畳4畳半と三つの部屋があった。それでベルサイユになっちゃうんだからな。

佐藤 質素だったんですね。

渡邉 それでいよいよ大臣になる時に“豪邸”を建てたという。行ってみたら建坪40坪ほどの普通の家だ。箱庭のような池があり、そこに金魚が4、5匹泳いでいた。お嬢さんによれば、中曽根さんは、政治家は小さな借家に住まなきゃいけないと言っていたそうだけどね。その後、総理になるという時には、長嶋茂雄君の家を借りて住んだね。最初、長嶋君は、政治家は嫌だと断ったんだ。そこで何とかしてくれないかと中曽根さんに頼まれた。だから長嶋君に、政治家といっても俺の親友なんだから貸してやってくれよ、と言ったよ。

佐藤 田中角栄さんの目白御殿とはだいぶ違うわけですね。

渡邉 “豪邸”は、廊下もすれ違えないくらいの家だったな。

佐藤 そういう人だから、渡邉さんは中曽根さんが好きなんでしょう。

渡邉 まあね。若い頃は毎週土曜に読書会をしていた。週に1冊、僕が読んで報告し、それについて議論する。1年で四十数冊だね。政治学の論文みたいな堅い本ばかりだ。お互い相当に勉強になった。彼と学者を呼んで、食事会もずいぶんしたよ。

佐藤 それが政治家の作った本格的なシンクタンク、世界平和研究所につながるわけですね。

渡邉 カントでもヘーゲルでも、僕が読みなさいと言うと、中曽根さんはみんな読むんだ。まあ、あれほど勉強家の政治家はいなかったね。

佐藤 渡邉さんは読書会だけでなく、中曽根さんの政治そのものにも大きく関わっていらした。

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最終更新:1/14(火) 5:55
デイリー新潮

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