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【新刊紹介】江戸の暗黒世界の実態:中嶋繁雄著『江戸の牢屋』

1/15(水) 15:55配信

nippon.com

斉藤 勝久

江戸時代の刑務所だった「牢屋敷」。地獄の掟(おきて)が支配する恐怖の世界の実態が描かれている。入獄体験のある幕末の志士、吉田松陰は『江戸獄記』で、伝馬町牢屋敷での詳細な牢内生活を書き残した。

江戸時代の「牢屋敷」が現在の刑務所と大きく異なるのは、囚徒が外に出て陽光を浴びることが許されないことだった。「皮膚病が蔓延し、非衛生的で暗い獄舎暮らしは、とても悲惨なものだった」と、歴史ノンフィクション作家の著者は述べる。

「地獄の沙汰も金次第」で、新入りは金の小粒を飲み込んで牢内に持ち込み、牢名主に納める。これで、手加減してもらうのだ。金が工面できない囚徒は、死を覚悟しなければならない時もあった。

牢屋敷の朝は早い。毎朝七ツ(午前4時)には点呼が行われ、夜は五ツ(午後8時)になるとおしゃべりが禁じられ、暗黒の幕が下ろされる。入獄者が激増し、一畳に18人という混雑状態になると、人減らしの殺人が行われた。一夜で3、4人が犠牲となることも。牢医師には狡猾の者がいて、急病死として片付け、牢名主側から袖の下を受け取っていた。

8代将軍、徳川吉宗は獄舎の不正をただすため、“密偵”を牢屋敷に潜入させた。その報告をもとに、獄の悪徳役人たちを厳しく摘発した。

吉田松陰は、密航に失敗した安政元年(1854年)と、その5年後に伝馬町牢屋敷に入獄した。『江戸獄記』で牢内の裏事情を書いている。牢内ではご法度の金銀、刃物、火道具などが半ば公然と出回っていた。役人が賄賂をもらって、黙認していたのだ。

松陰は「牢獄奉行」になって、自分の手で理想的な牢獄をつくりたいと考える。「懲罰ではなく、人間更生を目的とし、読書や諸芸を学ばせ、獄中の生活は囚徒の自治に任せる。斬新大胆な改革案だった」と著者は書く。

しかし、打倒井伊大老を目指した言動で、松陰は再び入獄し、牢屋敷内で刑場の露と消えた。牢屋敷跡の「十思(じゅっし)公園」には、松陰の辞世の歌碑が立っている。

【Profile】

斉藤 勝久SAITO Katsuhisa
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。

最終更新:1/15(水) 15:55
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