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「子を遺さずに死んでいく人生」は無意味なのか

1/15(水) 11:16配信

プレジデントオンライン

子供を持たない選択をする人が増えている。子供を持たないと、自分の生きた証しは次の世代へ遺らないのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「そんなことはない。子供がいなくても、今を真剣に生きること自体が次代へのメッセージになる」という――。

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■人生の折り返し地点であえて半生ではなく人生について語る

 「人生について書いてほしい」と言われたとき、僕の胸に去来したのは、「お前はもうオワコンだから衰えて何もできなくなる前、今のうちに人生を総括して、少しでも後進の役に立つようなことをしなさい」と言われているのかな……という寂しい気持ちである。

 45歳とはそういう斜陽でおセンチなお年頃なので、お取り扱いには気を付けてもらいたいものだ。それが書きもののオファーであっても、だ。秋の夕暮れに自分の落日する姿を重ねて、瞼(まぶた)を濡らしているくらいなのだからね。

 実際問題、人生の折り返し地点をターンしたばかりの人生ペーペーなので、人生が何なのかまだ分かり切ってはいない。ただ、間違いようのないのは、誰の人生でも必ず終わるという事実。

 だから人生や人生の意味について訊かれると、人は「人生が終わるときに悔いのないような生き方をする」という終わらせ方、「後の世の中に遺産(レガシー)を残したい」という遺産的なもの、そういう人生の終わりにフォーカスした内容を挙げてしまうのだ。

 強力な権力者や、使い切れないほどの財を成した成功者に顕著な特徴は、レガシーを遺そうとすることだ。

 美術館や図書館をつくったり、福祉施設に寄付をしたりして、玄関ホールに己を模した銅像が飾られるのだ。銅像になって嬉(うれ)しいとはおめでたいかぎりだと僕は思うのだけれど、実際そういうものである。

■子孫を残すことの意味について考えてみた

 子孫を残すことは、間違いなく人生の意味であり、後世へのレガシーの一つといえるだろう。残念ながら(? )僕には子供がいない。

 奥様に汚物扱いされて拒否られているという悲しい事情もあるが、年齢的にこれから子供を持つのは現実的ではない。子供が成人するまで面倒を見なければならないとすると、仮に「あなたの赤ちゃんです……認知して……」と会った記憶のない女性が隠し子を連れてあらわれるという望まぬカタチで、今、子供を授かったら、最低でも66歳まで働いて養わなければならなくなる。

 はっきりいって、それは、キツすぎる。

 だから現実的に考えて、子供はいらない。子供がいないからといって、人生の意味がなくなるわけではない。子供がいない人生を楽しめばいいだけのことだ。世の中には子供がいない夫婦も大勢いる。

■「遺す」ではなく「置いていく」という意識

 「子供以外のレガシーを残せばいいじゃないか」というご意見もあるだろう。玄関ホールの銅像になった過去の偉人の皆様には申し訳ないが、子供以外のレガシーに意味はないと僕は考えている。レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。

 遺したものがレガシーになるか、負の遺産になるかは、遺して、先にこの世から去っていくサイドの人間にはわからない。

 それはいささか無責任すぎやしないか。部活を引退していく先輩が「じゃあ後を頼むぜ」つってウゼー伝統を遺していくのと、とても良く似ている。

 人生の意味とは、遺すものだけではなく、今を精いっぱい生きることに宿るものだと考えている。人生はいつ終わるかわからないからこそ、今を真剣に考え、愚直に生きる。

 それが人生であり、人生と真剣に向き合うことに意味がある。

 僕には子供がいない。不動産や財産を遺すつもりもない。美術館も遺さない(遺せない)。ネットに書いた文章や執筆した書籍のいくつかは遺していくことになるが、後進の人たちにはそれをレガシー扱いしてほしいとはまったく思わない。役に立ててくれればいいな、くらいの軽い気持ちしかない。遺すのではなく、置いていくだけのことなのだ。

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最終更新:1/15(水) 15:20
プレジデントオンライン

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