ここから本文です

“超変則”な日本国会の構造:官僚の疲弊問題にもつながる課題が

1/17(金) 15:38配信

nippon.com

野中 尚人

2019年10月、台風襲来の直前に国会議員の質問内容の通告が遅れ、多くの官僚が帰宅できなくなったことで、「若手官僚の疲弊・離職者増」の問題が注目を集めた。筆者はこの問題を考えるに際し、合わせて国会の構造問題に思いを致すべきだと指摘する。

節目とも言うべき第200回国会が閉じられた。しかし、「桜を見る会」や野党議員の質問通告をめぐる官僚やその周辺の関係者を巻き込んだ問題も起こる一方、国家国民の重要課題は脇に置かれた感が強い。こうした状況は、官僚機構の疲弊問題と関連づけた場合、どのように理解すべきだろうか。以下ではまず、官僚機構の統治機構内部での役割の変化について簡単に論じ、続いて国会の構造問題について論じてみたい。実は、この2つの問題は、密接に関連した政治システム全体の課題である。

政官共棲から官邸への従属へ

日本の行政官僚制は、従来、その組織的な自律性や政策への影響力の面で先進国の中でも突出した存在であると評価されることが多かった。しかし近年は、逆に官僚による「忖度」現象が度を越したものとなっているとの批判が強まっている。著者は、戦後の早い時期に官僚が一定の主導性と影響力を行使した時代から今日の状況に至るまでの構造変化を見る時、2つの側面があると考えている。

1つは、55年体制の時代に形成された政官関係は、国会と国会議員とが最終的な決定権者であるという戦後民主主義の原則と、実態としての官僚機構の重み・有能さとが組み合わされる形で成立したことである。その中で、独占的な与党である自民党が政調会という内部組織を発達させ、族議員を生み出しながら、与党による事前審査制度の下で官僚機構との濃密な協力関係を築いた。

しかし他方で、民主的なコントロールは野党にも一定程度の影響力を与えた。俯瞰的に見れば、官僚機構は、自分たちの影響力を維持するために、与党自民党との共生関係を築く一方で、野党勢力に対しては国会での時に厳しいやり取りを担わねばならなくなったのである。戦前の政府官僚機構の影響力とは異なって、55年体制時代の官僚たちの影響力は、対与党、対野党の両面から、既に相当に条件づけられ、また制約を受けていたと言って良い。

こうした政官関係の構図は、その後1990年代に入るころから劇的に変化し始める。政治主導の強化が叫ばれるようになり、90年代後半の橋本行革、それに続く一連の公務員制度改革を通じて大きく変化した。特に、政官関係という面から見れば、幹部公務員の人事について官邸による一元的な管理体制が構築されたことが極めて大きな意味を持っている。

その結果、55年体制時代には与党との一定の共棲・共存関係の中で維持されていた官僚の影響力が決定的に弱められ、首相官邸への従属が明確になった。官邸主導の強化という形で政官関係は抜本的に再編成され、各省の組織・人事面での自律性は決定的に崩れるとともに、官邸に設置される政策会議への参画の有無が官僚としての影響力とステータスを決定づける体制へと変質してきたからである。

しかしその一方で、官僚機構と野党との関係は基本的に変化していない。野党議員は国会で政府与党を追及し、同時に官僚とも厳しいやり取りを繰り返す。むしろ、官邸に対する絶対的な従属という条件の下、国会での野党と官僚との関係は軋みを増していると考えられる。日本の国会は、政府を監視し批判する野党勢力に対して、相当な影響力を保障するルールで運用されており、結局、批判の矢面に立たされる官僚からすると、「なぜこんなことがいつまでも続くのか」という感覚に陥っているのであろう。

1/3ページ

最終更新:1/17(金) 15:38
nippon.com

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo! JAPAN 特設ページ