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親孝行ゆえの悲劇、永遠に奪われた若い命~なぜ20代で建物の下敷きになる「窒息死」が多発したのか~【阪神・淡路大震災25年目の真実❹】

1/17(金) 6:00配信

BEST TIMES

 阪神・淡路大震災から25年。6434人の犠牲者を出したこの地震の記録と記憶を来たるべき「大都市直下大地震」の教訓として生かしたい。NHKスペシャル取材班がものした書籍『震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ21年目の真実~』の電子版が緊急配信された。今回は地震発生当日、「窒息死」で亡くなられた神戸大学4年生の「親孝行ゆえの悲劇」をご紹介する。

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◆なぜ20代で「窒息死」が多発したのか

 検案書(死亡診断書)のデータを分析すると、窒息死が「誰にでも」起こり得ることが分かった。
 地震発生後1時間以内に、「窒息死」した人の数は2116人。
 年代別に分類すると、最も多い年代は60代で393人(全体の18・6%)、続いて、70代 (392人)、50代(314人)。データが示唆するのは、高齢になるほど、体力が落ち、圧迫に耐えられず、窒息死が起こりやすいという傾向だ。
 実際、50代、60代と年代が下がるにつれ、窒息が原因の犠牲者の数は減っていく傾向が読み取れる。
 ところが、20代でデータは意外な事実を示す。年代が下がるにつれ減少していた窒息の犠牲者の数が再び上昇するのだ。検案書のリストによると、160人もの若者が窒息で亡くなっている(下記【図表】参照)。

 なぜ、体力のあるはずの若者がこれほど窒息で亡くなっているのだろうか。
 取材チームは、20代の犠牲者一人ひとりがどんな状況で亡くなったのか、当時の住んでいた場所や建物の構造などをできる限り調べ、地図上に表示する作業を進めた。すると、ある特徴が明らかになった。

◆若者の犠牲が集中した地域

  20代の犠牲者は、兵庫県西宮市から神戸市東部にかけての東西10キロほどの細長いエリアに集中していたのだ。
 そこは大学、短期大学、専門学校などが多く集まる地域で、そのため周辺には、学生向けのアパートや文化住宅が多く集まっていた。

 その学生の街を震度7の激震は無残に変えた。

 震災当日に上空から撮られた航空写真が被害の甚大さを伝えている。写真を見ると、住宅地のあちらこちらて、茶色い土砂が盛り上がったように見える場所が目立つ。耐震性の低い木造のアパートや文化住宅が倒壊した場所だ。壁に使われた土や砂、それに屋根の土葺き(瓦を固定するために大量の土を載せる工法・関西で多く見られた) が粉々に崩れ落ち、積み重なり、瓦礫の山と化していた。
 私たちは取材を進めていくと、22歳で無念の死を遂げた大学生のご両親にお話を伺うことができた。

◆ある大学生の死――神戸大学・Mさん

 「このあたりに息子の住んでいたアパートがありました。すっかり街はきれいになりましたけどね……」
  Mさんの母(取材時77歳)は、次男のMさんを、窒息死で亡くした。当時、Mさんは神戸大学法学部の4年生。一人暮らしをしていたJR摂津本山駅近くの木造アパートの1階に住んでいたが、あの日、木造アパートは倒壊、下敷きになった。その場所は現在では駐車場になり、周囲には新しい住宅が建ち並んでいる。
 地震の前々日の1月15日まで大阪府内の実家に帰省していたというMさん。もう少しゆっくりしていけばと言ったMさんの母に、「アルバイトがあるから」と神戸市内のアパ ートへと戻っていった。
 そして早朝、阪神・淡路大震災が発生した。

 Mさんの母は、今でもその朝の心境を思い出して胸が張りさけそうになるという。
「最初のうちは、アパートに電話をかけてもまったくつながらなくて……。でも、Mはどこか友達の所に出かけていて無事なんじゃないか、そうに違いないと、いろいろ想像しま した。でも、お互い『まだ帰ってこないのよ』って連絡を取り合っていた神戸大学のほかのお母さんたちが、時間が経つと『やっと帰ってきたわ』とか『うちは無事だったわ』と 言うようになって……。その時、私だけ『うちの子はまだ帰ってこないわ』って言い続けました……。あの時の悲しさや苦しさは何度でもよみがえってきます」

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最終更新:1/17(金) 16:33
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