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『カラマーゾフの兄弟』の脇役に見る時代の病

1/20(月) 8:00配信

NHKテキストビュー

『カラマーゾフの兄弟』には魅力的な脇役が多数登場します。ドストエフスキーは、人生を半ば諦めている軍人スネギリョフと、その父をどこまでも守ろうとする息子イリューシャを通して「親子の愛情」だけでなく「時代の病」までを描いてみせました。ロシア文学者で名古屋外国語大学学長の亀山郁夫(かめやま・いくお)さんが、このエピソードの深層を語ります。



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物語の第2部 第4編「錯乱」では、アリョーシャが町の小学生たちと知り合うといういささか唐突な(しかし将来的には大変重要な)挿話が描かれます。



アリョーシャは地主夫人ホフラコーワの家に向かう途中、小さなどぶ川を挟んで立つ9歳~12歳ほどの小学生の一団を見かけました。手前に6人、向こう岸に1人。彼らの手にはそれぞれ石が握られ、やがて投げ合いが始まりました。6対1の投げ合いにアリョーシャは危険を感じます。向こう岸から飛んできた石がアリョーシャに当たり、そばにいた少年が「いまのは、おじさん、おじさんをわざとねらったんだよ。だって、おじさん、カラマーゾフでしょ」と言います。続いて向こう岸の少年の胸にしたたかに石が当たり、少年は退散していきます。追いかけていくアリョーシャに向かって少年たちは、あの子はクラソートキンという友達をいきなりナイフで刺したことがあるから気をつけるようにと警告します。アリョーシャが近づいていくと、少年は待ちかまえていたかのように石を投げつけ、いきなり彼に飛びかかってその左手の中指を激しく嚙みました。見ず知らずの少年によるこの仕打ちに、アリョーシャは大きなショックを受けます。少年は、嚙んだ理由を問うアリョーシャに何も答えず、大声で泣きながら走り去っていきました。



ホフラコーワ夫人の家に着いたアリョーシャは、そこに居合わせたドミートリーの婚約者カテリーナから、1週間前にドミートリーが料理屋で、ある二等大尉を彼の息子の見ている前でひどく辱めたので、その二等大尉にお見舞金を渡してほしいと頼まれます。その話を聞いたアリョーシャの頭にひらめくものがありました。指を嚙んだ少年はその息子ではないか。アリョーシャは勇を鼓し、二等大尉の家を訪ねていきます。まるで物置小屋のようなその家には、二等大尉スネギリョフと、彼の病んだ妻、足の悪い娘たちが暮らしていました。


■脇役に見る時代の病


『カラマーゾフの兄弟』には魅力的な脇役が数多く登場しますが、その1人がこの二等大尉スネギリョフです。スネギリョフは、アリョーシャの指を嚙んだ少年イリューシャの父親で、人生半ばにして「ございます」口調から逃れられなくなってしまった人物です。「これは、神の御業でそうなるんでございましょう。(略)それにいたしましても、わたくしのどこに、そんな好奇心をお持ちになら れたんでして?」といった具合です。



この過剰にへりくだったスネギリョフという人物の造形に、時代の現実と人間を見つめるドストエフスキーの鋭い洞察力をかいま見ることができます。この時代のロシアは、異常な投機ブームが社会を包み込み、まさにお金がすべてという拝金主義の時代でした。商才に長けた者は生き残り、貧者はさらなる貧困へと「解放」される。スネギリョフはもちろん後者に属する人間です。ところが、この「ございます」口調は、スネギリョフ一人の「病」ではない のです。じつは、カラマーゾフ家の料理人スメルジャコフもまた、同じ口調で話します。同じSで始まる名前の二人の人物は、「“ございます”人」が、かぎりない受動性(スネギリョフ)と攻撃性(スメルジャコフ)の二つに分化した例と見ることができるかもしれません。



貧しさのなかで完全に自尊心を失ってしまったかに見えるスネギリョフですが、彼と息子イリューシャとの結びつきの強さは、読む者の心をはっとさせます。父に代わって自分が将来ドミートリーに仕返しをしてやると息巻く息子に対し、人殺しは決闘場でも許されないと諭すスネギリョフ。すると息子イリューシャは、「それじゃあ、ぼく、大金持ちになるからね。将校になって、みんなを打ち負かし、皇帝さまからご褒美もらって、それからここに戻ってくるよ、そしたら、もうだあれもあんなひどいまねできないもの」と答えます。



イリューシャの父を思う心、そして、どこまでも自分を守ろうとしてくれる息子のけなげな気高さを理解するスネギリョフの父性愛は、涙が出るほど感動的です。これは『カラマーゾフの兄弟』以外の作品にも共通することなのですが、ドストエフスキー作品の登場人物のすばらしさとは、まさに傷つく力にあります。しかし人間が傷つくには、それなりの前提が必要となります。その前提とは、ほかでもありません、一人ひとりが持つべき誇りの高さです。もともと志のない人間が傷つくことはありません。誇りが、志があるからこそ人間は傷つくのです。ドストエフスキーのデビュー作『貧しき人々』には、傷つきながらもけっして夢を捨てることのない純粋な人々の姿が描かれていました。しかし、それから『カラマーゾフの兄弟』を書くまでの約30年のあいだに、ロシアでは農奴解放があり、社会が不安定化し、すべての状況で金がものを言う時代に入っていました。そこに現れてきたのが、傷ついた末に夢を断たれ、病み、狂気へと向かう人たちです。屈折した「ございます人」スネギリョフや、仕返しのため初対面のアリョーシャの指に嚙みつくイリューシャ。彼らの姿をとおして、ロシアにおいてお金が計り知れないほど大きな力を持ち始めていること、その力の前で人間の心が容赦なく引き裂かれていくさまが描かれています。息子のイリューシャに向かって語りかけるスネギリョフの言葉を引用しましょう。


「お金持ちくらい世界で強い人たちはいないんだよ」


えげつないと言おうか、痛々しいと言おうか、何とも説明しがたいセリフです。一人の大人が、いたいけな子どもに向かってあたかも不変の真理であるかのごとく「金」の威力について語る、その異常性。本来なら、正義や真心の大切さを教えるのが親の務めであるはずですが、ドストエフスキーはけっして甘くありません。頑としてリアリズムを貫き、頑として敗北主義に徹しています。



■『NHK100分de名著 カラマーゾフの兄弟』より

NHK出版

最終更新:1/20(月) 8:01
NHKテキストビュー

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