ここから本文です

猫人間騒動の真相 話題の新作『キャッツ』映画版に何が起きた?

1/23(木) 11:02配信

FRIDAY

ロンドンのウエストエンドやニューヨークのブロードウェイで最も長く上演されたミュージカルのひとつであり、日本でも「劇団四季」による公演で目にした観客が少なくないだろう、有名な舞台『キャッツ』が、ついに映画化された。監督は『英国王のスピーチ』(2011年)でアカデミー賞監督賞(作品、主演男優、脚本の計4部門)を受賞し、ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』(2012年)の斬新な演出が話題(アン・ハサウェイの助演女優賞などアカデミー賞3部門獲得)を呼んだトム・フーパー(47歳)。キャストには、人気シンガーのテイラー・スウィフト、ジュディ・デンチ、イドリス・エルバ、イアン・マッケランなどなど、豪華な俳優が揃った。

【あなたはどう思う?】キャッツたちの個性的な姿はコチラ

しかし、日本での上映前(日本公開は1月24日)から聞こえてくるのは、アメリカの批評家による酷評の数々。レビューをまとめたサイト「ロッテントマト」では、現時点で批評家による好意的評価が21%と、前評判に比べて非常に評価が低いうえに、驚くほど悪し様に罵っている様子が、日本でもネットニュースで紹介された。

「不浄で未知のポルノだ。FBIが劇場に乗り込んでくるかと思った」
「ホラーであり、忍耐テスト」
「『キャッツ』に点数を与えるとしたら、玉ねぎかな(猫に玉ねぎを与えると中毒症状を引き起こすため)」

なぜ、こんな散々な言われようなのか。それは、すでに日本でも予告編でお目見えしている通り、「役者が演じている猫の姿が不気味だ」という見方があるためである。

登場する猫たちは、舞台版ではグラムロック風の衣装でフサフサの毛に覆われ、身体のラインが見えにくかったのに対し、映画版ではCGを使用して、肌に直接毛が植えられているような合成が加えられている。そのことでハッキリした身体のラインがセクシーに見えてしまったり、人間の頭身で猫を演じることのアンバランスさが強調されてしまったのだ。もちろん劇中の“猫人間”たちは、そんな違和感には構わず当然のように振る舞い、歌い踊り続けるため、フラストレーションを感じた批評家が多かったのではと想像する。

たしかに、そのように思わせてしまったという点だけを見れば、失敗だと言われても仕方がない部分がある。しかし、映画版に従来のグラムロック風のデザインをそのままとり入れたとしたら、現代の基準では古くさいセンスに感じただろうし、映画のスクリーンに顔が大写しになった場合、舞台のように強いメイクではキャラクターに感情移入しにくく、作り物であることがハッキリしてしまったのではないだろうか。要するに、この見た目になった経緯には、それなりの理由があるのだ。

本作には、先述した豪華キャストにくわえ、英国ロイヤルバレエのプリンシパルダンサー、フランチェスカ・ヘイワードが、舞台版よりも役割を広げた重要な役で出演し、見事なバレエダンスを披露する。このような条件では、役者の顔を見せつつ、ボディラインもハッキリさせたくなるというもの。それを実現するために、あの“猫人間”の見た目に行き着いたのだと思われる。

そのように考えると、この騒動、ちょっと大げさ過ぎるのではないかと感じられるところがある。たしかにパッと見ると異様に感じるのは確かだが、「ロッテントマト」の一般観客側の評価(オーディエンス・スコア)は、支持率が53%と、かなり健闘しているのである(全米では12月20日~公開)。つまり、激烈な批判者が主張するほどの嫌悪感を、少なくとも映画を最後まで鑑賞した、かなりの割合のアメリカの観客は感じていないということだ。

近年、評価のデータがネットで可視化できるようになって以来、アメリカの批評家の判断が極端な傾向を示すケースが増えた。そこでは、一度良いとされたものがより高評価を受け、悪いとされたものは悪し様に罵っても許される、業界特有の空気が感じられるところである。メディアやプロの批評家、ライターが作品を酷評できるということは、じつはアメリカの批評文化の美点でもある。日本の批評・評論界は比較的その部分が弱く、見習うべきところが多い。だが今回のように、実際よりもオーバーなマイナス評価によって、むしろオーディエンス・スコアの方がより作品を冷静に判断するような結果になるとすれば、本末転倒ではないのか。

今回は、そのなかでも極端な意見がニュースサイトで面白おかしく抜粋して紹介されることで騒動となった、というのが、おおよその真相なのではないか。記事には、なぜ娼婦をしている猫が存在しているのかという疑問や、猫が毛皮を着ているところを問題視する意見も紹介されていたが、そこはそもそも舞台版そのままの設定や表現に過ぎない。おそらく、その批判者も記事を書いた人物も、舞台版や、舞台の映像を見たことがないのだろう。

では、今回の映画版がどうなのかというと、それはトム・フーパー監督の過去のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』が参考になるはずだ。俳優の顔にカメラがかなり接近するという独特の演出は、少なくない観客や批評家に批判されたが、その一方でミュージカル映画の新境地として評価された面がある。つまり、この監督は批判を受けたとしても映画ならではの新しい表現を試してみたいという種類の監督なのである。もちろん、その試みの内容が全くだめだという批評も成り立つし、逆もあり得る。

本作『キャッツ』でも、設定が変更されていたり、テイラー・スウィフトによる新曲が加えられているなど、見た目以外に様々なチャレンジが見られる。そうなったのは、T・S・エリオットの詩(1939年に発表)を原案にした舞台版(1981年ロンドン初演)そのものが、そもそもシンプルで抽象的な物語なので、そこにいろいろな含意を読み取り、猫を通して人間の生き方や社会のあり方を問う部分を見いだせなければ、観客によっては退屈を覚える場合のある作品だからだろう。

映画ではその点を含め、どのようにハートを揺り動かすものにするのか、という工夫が多く見られる。それこそが本作のオリジナリティである。そして全体を通して作品の描き出すものを見ていくなかで、あの見た目をどう判断するか……というのが、公平な見方であるように思える。そのうえで「気持ち悪い」と言うのなら、批判にも説得力が生まれるはずである。

文:小野寺系
(おのでら・けい) 映画評論家。多角的な視点から映画作品の本質を読み取り、解りやすく伝えることを目指して、WEB、雑誌などで批評、評論を執筆中。

FRIDAYデジタル

最終更新:1/23(木) 11:02
FRIDAY

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事