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東京オリンピックまで半年 14歳で金・水泳の岩崎恭子“米国留学で吹っ切れた五輪後の苦悩”

1/25(土) 7:09配信

FRIDAY

東京五輪開幕まで半年を切った。今夏はどんなスポーツドラマが生まれるだろう。だが世界が注目する大舞台で結果を出し、その後も活躍し続けるのは容易ではない。長年アスリートを取材してきたノンフィクション作家の小松成美が、知られざるオリンピアンの苦悩に迫る。話を聞いたのは’92年のバルセロナ五輪、女子競泳平泳ぎで14歳の若さで金メダルを獲得した岩崎恭子(41)だ。

【画像】41歳になっても美しい岩崎恭子 インタビューカットなど撮影写真

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無名の選手がオリンピックのスターに――。

‘92年に開催されたバルセロナ五輪。競泳女子200m平泳ぎに出場した岩崎は、14歳の中学2年生。メダルなど、まったく期待されていない最年少のオリンピックスイマーだ。岩崎自身、五輪直前のテレビのインタビューで「決勝まで残れればいいほうだと思います」と語っている様子からも、緊張や重圧は感じられない。幼さの残る愛らしい表情の彼女に、周囲は皆、「オリンピックを楽しんで」と、声をかけた。

ところが、彼女はそのレースで全世界を驚愕させることになる。金メダル候補を抜き去ると、当時の五輪記録2分26秒65で鮮やかに金メダルを獲得するのだ。強い意思を持ち、誰にも真似できない泳ぎ込みを成し遂げた岩崎の実力がスパークした瞬間だった。

表彰式で君が代を聴いた直後の会見で記者に囲まれた岩崎が、「今まで生きてきた中で一番幸せです」と涙声で応えたその様子に、国民は熱狂した。突如、誕生した“五輪アイドル”は、帰国後、賞賛と好奇の嵐の中に立たされた。14歳と6日。競泳最年少でゴールドメダリストになった彼女を、‘36年ベルリン五輪で優勝した前畑秀子の再来と呼び、メディアは連日彼女の後を追った。

世界一幸福な中学生。誰もがそう思っていた。が、現実は違っていた。実は岩崎は慌て、そして恐れた。その心に、漆黒の闇が広がっていくことを止められなかったからだ。

「いきなり国民的アイドルになってしまったんです。常に『私は相手のことを知らないけど、相手は私のことを知っている』という状態でした。普通の中学生だった自分が、1人で外を歩くこともできなくなってしまった……」

賞賛の言葉をたくさんかけられたが、批判や中傷の言葉も聞こえるようになっていく。

「今なら、それが有名になったことの代償なのだ、と理解できますが、当時は、ただ怖かったです。そして、苦しかった。周囲の目を意識し過ぎて、本当の自分を抑えて生きていました。悲しくなって、オリンピックに出場したことさえ後悔します。金メダルを見るのも辛かったです」

●「このタイムを出せると思っていないよね」

「本来の私はとても負けず嫌いで気が強い。自分に負けたくなくて、だから猛練習して、オリンピック出場も果たせました。けれど、メディアや世間は本来の私ではなく『素直で可愛いアイドルの恭子ちゃん』を求め続けるんです。いつしか私自身、そうした虚構の自分を演じるようになっていく。心は暗く、閉塞感しかなかったです」

岩崎は苦悩を胸に秘めながら、金メダル後の日々を歩むことなる。

岩崎が地元・静岡県沼津市で水泳を始めたのは、5歳の時だ。彼女には、幼い頃からライバルがいた。

「姉の影響で、近くのスイミングスクールに通い始めたんです。幼い頃は、3歳年上の姉のマネばかりしていました。私の目標だったんですよ。姉は小学校4年生の時から全国大会に出場し、6年生の時には優勝しています」

バルセロナ五輪の選考時も、岩崎のライバルは姉だった。

「代表の2枠を5~6人で争う展開で、その中に私と姉が入っていたんです。地元の静岡県沼津市では『岩崎姉妹、揃って五輪出場か』と期待を寄せていただきましたが、一発勝負の日本選手権で私が勝利したんです。紙一重の差で私が五輪のキップを勝ち取りました」

トップアスリートには次男・次女が多い、と言われる。確かに野球のイチロー、サッカーの中田英寿、ラグビーの五郎丸歩、フィギュアスケートの浅田真央と言ったトッププレイヤーはみな次男次女だ。最も身近にいる兄や姉の影響で競技を始め、その背中を見て懸命に練習し、いつしか追い抜きたい、一番になりたいという思いを抱く。その身近に競い合う相手がいること、そこでライバル心を養うことが、選手としての能力を飛躍的に伸ばす原動力になっているのかもしれない。

岩崎の場合も、姉以外の存在はほとんど念頭になかったという。

「姉を目標にして、頑張って、負けるものか、と泳いでいましたが、その他の選手のことは視野になかったんですよ。一番の関心は自分の記録を更新することです。それに、喜びを感じていました。相手に勝つことも大切ですが、自己記録を超えることが成長の証だと思っていました。真のライバルは、昨日の自分。そうした戦いの延長線上にあったのが五輪だったんです」

正直、金メダルを獲ろうと思って臨んだレースではない。

「5歳の頃から積み重ねてきた結果、私は、私というライバルに勝つことができた。それがバルセロナでの金メダルだった。ただそれだけのことだったのです」

14歳の金メダリストは、オリンピックから日常へ戻ると、以前と変わらぬ心で「昨日の自分」をライバルに泳ぐはずだった。だが、大きな波となって押し寄せる「恭子フィーバー」がそれを許さなかった。岩崎は、こう振り返る。

「私がやるべきことは、周囲の大騒ぎや噂を気にせず、次のアトランタ五輪へ出場するために水泳に集中することだとわかっていました。でも、バルセロナ五輪後は疲れもたまり、しばらく練習を休んだこともありました」

当時、出場する大会ごとに目標タイムを掲げコーチに提出していたのだが、心は上の空だった。

「ある時、コーチの竹村吉昭さんにこう言われたんです。『恭子は、このタイムを出せると思っていないよね』と。竹村コーチは、集中力を失った私の虚ろな心を、見抜いていたんですね」

岩崎は’96年のアトランタ五輪に出場するが、結果は散々だった。前回金メダルを獲得した200m平泳ぎは10位。100m平泳ぎは予選落ちに終わったのだ。

「4年前と同じことは二度起きない。もう一度金メダルを獲ることなどできるはずがない。冷静に考えれば、自分がメダルを狙える位置にいないことはわかっていました。気が付くと、心が折れていましたね。心の中に、本当にやるべきことをやったのか、と問う自分がいましたが、私は答えを持たなかった。そんな自分を、許せなかったのだと思います」

失意の岩崎は、20歳の若さで現役を引退する。

●目からウロコのアメリカ式指導法

転機は23歳の時に訪れた。

「現役を引退してから3年後、海外指導者研修生として、1年間アメリカへ行ったんです。これが私のターニングポイントでした。目からウロコの経験の連続でしたね。日本にいる時は、10年近く経っても、14歳で金メダルに輝いた岩崎恭子から脱することができなかった。色んな人から一方的にそのイメージで語られてしまうのですが、アメリカでは誰も私を知りません。出会ったすべての人が、私を1人の人間としてフラットに見てくれる。なんの肩書きも説明もいらないんです。私は緊張を解いて、岩崎恭子として過ごす時間を取り戻せました。とても嬉しかったですし、毎日が楽しかった」

プールサイドに立って子どもたちに水泳を教えた際には、アメリカのコーチたちの思考や視点に目を見張った。

「日本ならまず注意点を挙げ、それを選手に問題点を指摘し、直してくんです。しかしアメリカではまず良い点を見て、それを褒めることからスタートします。こんなにも指導の方法が違うのかと驚きましたね」

コーチと選手達のやり取りも日本とは異なっていた。

「日本では、『明日は何時に集合。持ち物はこれとこれ』と、決定事項を連絡します。選手は頷いてそれに従うわけです。ところが、アメリカでは連絡でも自分で考えることを尊重するんですよ。コーチが子どもたちに『明日は何時に集合したらいいかな? 持ち物は何が必要だとう?』と問い掛ける。そこからディスカッションが始まります。自分の考えを言葉にして伝えるトレーニングをしていくわけです。とても新鮮でしたね」

心を縛る鎖を解いた岩崎は、気負うことなく自分の経験を話せるようになっていた。

「メディアに向けて、14歳で金メダルを取ったことを語ることも苦ではなくなりました」

そして今は、その胸に、水泳の楽しさを日本中の子どもたちに伝えていきたい、という夢を掲げている。

「その夢が形作られたのは金メダルから15年以上が過ぎた頃のことでした。中学校へ講演に行った時のことです。生徒たちに、『夢や“やりたいこと”を持つことが大切』という話をしたんですよ。でも、講演後の質問でハッとさせられました。ある生徒に『岩崎さんの夢はなんですか?』と質問され、とっさに答えることが出来なかった」

若い人たちにはいつも「夢を持って」と伝えている彼女は、自分には明確な夢がなかったことを省みる。

「そこで私は、水泳の素晴らしさ、楽しさを伝える人になることを生涯の夢にしようと決めたんです。人生を捧げてきた水泳の普及に尽力しよう、そう誓いました。水泳は本当に素晴らしい競技なんですよ。基礎体力をつけることができますし、溺れないためのサバイバル能力も身につきます。何より、あの水の中での浮力、浮遊感は、最高です。すべての子どもたちに泳ぎを習得してもらいたいと、心から願っています」

金メダルという途轍もない光がもたらした色濃い影を知る岩崎。若い彼女は、オリンピックという舞台に、その壮大さと残酷さを教えられた。

「今は過去を消したいなんて、思いません。恐れ、悲しみ、自分の境遇を哀れんだ過去の日々も、大切な人生の一部です」

(文中敬称略)

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小松成美(こまつ・なるみ) ノンフィクション作家、インタビュアー、小説家。取材対象者は中田英寿、イチロー、五郎丸歩、有森裕子などのトップアスリートからYOSHIKI、歌舞伎役者など多岐にわたる。著書に『横綱 白鵬』(学研教育出版)、『それってキセキ~GReeeeNの物語~』(KADOKAWA)など。最新刊は平成の歌姫・浜崎あゆみをモデルにした『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)。

協力:アーシャルデザイン

最終更新:1/25(土) 12:17
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