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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.10「奇跡的に間に合ったテスト体制づくり」

1/25(土) 17:31配信

WEBヤングマシン

二転三転もなんとか説得!

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。物語の舞台は前回から、ブリヂストンがロードレース世界選手権最高峰クラスへの挑戦を決定した2000年。当時のことを、詳細に振り返ってもらいます!

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TEXT: Toru TAMIYA

「とにかく我々の話をもう一度聞いてください」

ブリヂストンのテストコースにHRCのメンバーを招いて実施した2000年9月末のテストで、アーヴ・カネモトさんがレース運営から身を引こうとしていることを知ってから、わずか4日後(現地時間の10月2日)。米国ロスアンゼルスの空港で、私はアーヴさんと会っていました。ちょうどその週末には、ロードレース世界選手権(WGP)のリオGPが開催。日本からブラジルへ向かうフライトのトランジットを利用して、アーヴさんと会う約束を取り付けていたのです。

日本を月曜日の17時過ぎに出発して、ロスには同日の12時前に到着。ブラジル・サンパウロ行きのフライトは21時出発なので、十分な時間がありました。しかし私は、サーキットのパドックでは顔を合わせていたものの、アーヴさんと話をしたこともない状態。しかも、空港を出てすぐのところで待ち合わせしていたのですが、アーヴさんの姿は見当たらず焦りました。とはいえ携帯電話で連絡してなんとか会うことができ、すぐに空港内のカフェで、準備してきた資料を見てもらいながら我々の計画を説明しました。するとアーヴさんは「チャレンジングで面白そうなプロジェクトだ!」と言ってくれて、雑談も含め2~3時間はゆっくりと話ができたので、かなり好感触を得た自信がありました。

アーヴさんと別れて向かったリオGPでは、東雅雄選手をはじめとするサポートライダーたちのケアをする通常の業務も当然ながら多くありましたが、その合間にも毎日アーヴさんに電話を入れて、「どうですか? 一緒にやりましょう!」とラブコールを送り続けました。東選手や他のライダーには申し訳ないのですが、そのときの私はアーヴさんを説得することで頭がいっぱい。あのウィークのGP125に関する記憶はほとんどありません。そしてアーヴさんは、電話で「前向きに検討中だ」と回答してくれていました。

ところが、私が日本に帰国後、再度アーヴさんに電話をしたところ、返ってきたのは「いろいろ考えたけど、やっぱり止めた」というものでした。これは推測なのですが、アーヴさんは周囲が想像している以上に慎重な性格なのだと思います。しかし当時の私は、そんなことはまるで知りませんし、そもそも2001年の頭からテストチームを稼働させることを考えたら時間はまるでない状態なので、とにかく焦りました。そこで私は、アーヴさんにひとつの提案をしました。「費用はすべてこちらで持つので、とにかく一度日本に来て、我々の話をもう一度聞いてください」と。しかしこれが実現したのは、11月も中旬に入ってからのことだったのです。

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最終更新:1/25(土) 17:31
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