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短くて長い陸上400m、バルセロナ大会の高野進-山本浩の五輪の風景(2)

2/4(火) 15:57配信

nippon.com

山本 浩

1992年8月3日、モンジュイックの丘に立つオリンピックスタジアムは、午後7時半を回ろうかというのにまだ昼間の明るさを残していた。目の前でスタートを切ろうとしているのは男子400m準決勝に出場する31歳の高野進。東海大の学生時代に日本を代表するスプリンターとしてアジア王者になっただけでなく、3回目の五輪となるバルセロナ大会前年には、44秒78という日本記録を打ち立て、既に十分な実績と経験を積んでいた。

久々のチャンス

歴史的に日本の陸上競技は戦前、幾度か跳躍で世界を驚かせる成績を残したが、この時代までマラソンを中心とした長距離を除けば振るわない。とりわけトラックの短距離種目では、1932年のロサンゼルス大会に出場した男子100mの吉岡隆徳以来、決勝レースに進むことさえできていなかった。

陸上競技のトラック種目では、この400mまでが最初から最後まで自分のレーンを走る「セパレートコース」と決められている。第1コーナーの辺りからのスタートでは、外側の選手ほど前の方にブロックが置いてあり、一番内側はずっと後ろの方からスタートするように見える。内側のレーンと外側とではカーブの半径が違うため、走る距離をそれぞれ正確に揃えるとこうなってしまうのだ。

おまけにペース配分に戦術が持ち込まれるから、レースを見慣れていない者にとっては甚だ勝敗の予想がつきにくい。バックスタンド側で2人の選手が並んだように見えても、そのままフィニッシュの順位につながるとは限らない。コンディションやライバルの顔ぶれで流れは千変万化する。

親子でゴールに駆け込んだ英選手

準決勝第1組に登場した高野は、白いユニフォームで第1レーンのブロックに身体を沈めた。一次予選を突破すると8月2日の二次予選では記録を伸ばした上でイギリスのデレク・レドモンドに次いで2組の2位に入っていた。ピストルが鳴って高野はスムーズにスタートを切った。序盤を抑え気味で行くと決めていたのだろう、第2コーナーを回って直走路に入っても外側の選手との差がなかなか縮まらない。「もっと行かないのか」「抑えてついて行き後半勝負だ」。私の心の中では二つの声がぶつかり合う。

とそのとき、高野のずっと前を走っていた黒人選手が突然スピードを落とす。太もも裏を押さえて止まってしまったようだった。アクシデント。高野は第4コーナーを回る頃にはスピードの落ちたライバル達を尻目に、堂々の4位で決勝進出。やれやれと安堵しながらも、すぐに振り返ってけがの選手を見る。それは予選で高野を押さえたイギリスのレドモンドだった。しばらくしゃがみ込んでいたがやがて、痛めた右足を引きずりながらゴールに向かってくるではないか。気づいた観客が立ち上がって拍手をし始める。レドモンドはホップを続ける。

そこへ突然スタンドからがっしりした男が飛び降りたかと思うと、レドモンドに走り寄ってきた。役員が制止にかかる。「このままじゃ、助力になって失格だ」。当のレドモンドは寄り添ってきた男の腕を借りながら必死に前進を続けている。観客は拍手をしたまま総立ちになった。とうとうレドモンドは泣きじゃくりながらゴールを切った。後から聞けば、駆け寄ったのは父親だった。「この競技は俺が息子と一緒に始めたんだ。終わらせるときも一緒にさせてくれ」。役員を振り切る際に父親はこうまくし立てたと言われる。

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最終更新:2/4(火) 15:57
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