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直木賞『熱源』に学ぶ、“多文化共生”の難しさ 1月期月間ベストセラー時評

2/7(金) 8:02配信

リアルサウンド

1月期月間ベストセラー【総合】ランキング(トーハン調べ)
1位『The WORLD SEIKYO ワールドセイキョウ 2020年春号』聖教新聞社
2位『鬼滅の刃 片羽の蝶』吾峠呼世晴 矢島綾 集英社
3位『鬼滅の刃 しあわせの花』吾峠呼世晴 矢島綾 集英社
4位『こども六法』山崎聡一郎/伊藤ハムスター(イラスト) 弘文堂
5位『田中みな実 1st写真集「Sincerely yours…」』田中みな実 宝島社
6位『鋼鉄の法 人生をしなやかに、力強く生きる』大川隆法 幸福の科学出版
7位『反日種族主義 日韓危機の根源』李栄薫編著 文藝春秋
8位『ポケットモンスターソード・シールド公式ガイドブック』元宮秀介ほか オーバーラップ
9位『DVDでよくわかる! 120歳まで生きるロングブレス』美木良介 幻冬舎
10位『熱源』川越宗一 文藝春秋
11位『一切なりゆき 樹木希林のことば』樹木希林 文藝春秋
12位『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治 新潮社
13位『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 新潮社
14位『見るだけで勝手に記憶力がよくなるドリル』池田義博 サンマーク出版
15位『乃木坂46 山下美月1st写真集「忘れられない人」』山下美月 小学館
16位『はじめてのやせ筋トレ』とがわ愛、坂井建雄 監修 KADOKAWA
17位『70歳のたしなみ』坂東眞理子 小学館
18位『清明 隠蔽捜査(8)』今野敏 新潮社
19位『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ ストーリーブック』サンエックス監修 主婦と生活社
20位『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』ハンス・ロスリング他 日経BP

 2020年1月の月間ベストセラーで10位にランクインした川越宗一『熱源』は第162回(2020年上半期)直木賞受賞作であり、4月7日に発表される本屋大賞2020にもノミネートされるなど話題沸騰の一作だ。

■サハリン=樺太を両サイドのマイノリティ視点から描く

 『熱源』は、明治から太平洋戦争終戦時までのサハリン=樺太を舞台に、「アイヌが日本政府によって北海道宗谷に送られた際に故郷の島から引き離され、18年ぶりに帰るとそこがロシアが支配する村になっていたアイヌの男」と「ロシア国籍だが流刑されてサハリンへ来たリトアニア生まれのポーランド人の男」を軸に描く歴史小説である。

 一方では日本政府や和人による意識的・無意識的を問わないアイヌに対する抑圧や差別を描き、もう一方では帝政ロシアあるいはその後のソ連からの独立を長く望みながらもなかなかそれが果たせないポーランド、リトアニア独立運動側の勢力を描く。

 といってもどちらも独立闘争や政治の中心を描くのではなく、そこからやや離れた人間たちの生活や仕事に焦点を当てることで、彼らの複雑なアイデンティティを掘り下げ、「故郷とは?」と問う。

■北方領土で何が起こってきたのか、私たちは知らない

 北方領土についてニュースでは「四島返還か、二島返還か、はたまたもう日本には還ってこないのか」ということが取り沙汰されがちだ。「ロシアのものか、日本のものか」という二者択一の問題としてフォーカスされることが大半だ。

 しかし、19世紀から20世紀半ばにかけてそこにどんな人たちが住まい、交流してきたのか、そしてまた地政学的理由からどれほど奪い合いの標的となり、先住民や近隣諸国の市井の人間たちの人生を翻弄してきたのかについて、いったいどれほどのことを知っているだろう? ここにはそれらをめぐるドラマがある。

■生まれ育つなかで獲得した視点から逃れがることは難しい

 ロシア人が、ギリヤーク(狩猟民)が住む森を燃やし、漁場を奪って経済基盤を破壊したことを、民族学が「ヨーロッパの白人が各地の先住民を支配する際のロジック」として利用されていることを知りながら、その研究対象とするリトアニア生まれのポーランド人。

 アイヌ女性の刺青の風習を「痛いからやりたくない」と正直思いながらも和人に「野蛮だからやめろ」と言われると怒りを覚えるアイヌの少女。「アイヌの叙事詩はすばらしい、偉大な民族だ」と褒め称えながらもその文化が失われ、滅びるという前提でアイヌに向かって話しかける東京帝大の学生・金田一京助。「ロシアが日本と戦争を始める余裕を持たせないようにロシアの革命家を支援している」とリトアニア生まれのポーランド人に新橋で語る二葉亭四迷。「この島で日本の戸籍を持つのは和人のほかはアイヌだけ。自分もいつかは戸籍がもらえる立派な日本人になりたい」とアイヌに向かって語る、樺太東岸に住むツングース系先住民族オロッコ(ウイルタ)の皇国青年。

 日ソ不可侵条約を破って樺太に上陸するも日本軍に捉えられたロシア人捕虜は「日本に占領された土地を奪い返す」と言い、アイヌ人の女性はそれを聞いて「もともとこの島は誰のものだったのだろう」と思う。今の時代の価値観から見て、相対的に誰の理屈が正しく、どこが間違っているのか、誰の視野が広く、誰の視野が狭窄かを第三者視点で検討するのはそれほど難しくないかもしれない。

 しかしもし自分がこの時代に生きた当事者のうち誰かであったなら、おそらくはここに描かれている人と同じような考えをしても何もおかしくないと私は思う。生まれ育った環境から得た視点から離れることの難しさと、まったく異なる環境で生まれ育った他者の視点になりきって考えることの難しさを感じる。

■東京オリンピック開催の年の直木賞受賞作である意義

 「多文化共生」などと口で言うのはたやすい。しかし、樺太のように多様なバックグラウンドを持った人たちの交流と衝突が起こり、混淆する現場では、複雑な想いと思惑が交錯してきたのだろうことが本作を通じて体感できる。

 東京オリンピックを前に政治家もテレビも「がんばろう日本」「日本人が一丸となって」的なフレーズをすでに多用するようになっている。けれども人々のもつバックグラウンドは多様であること、それぞれのエスニシティやナショナルアイデンディティを形成してきた歴史は簡単ではないことに目を向けたいし、日本代表と戦う相手国の選手の背景にも関心と敬意を持って臨みたい。そんな気持ちにさせる、タイトルどおりの熱に満ちた作品だ。

飯田一史

最終更新:2/7(金) 8:02
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