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「盤上で倒れてもよい」闘志の棋士・松田辰雄八段が燃え尽きるまで

2/9(日) 11:00配信

文春オンライン

 先の大戦によって命を落とした棋士は二人いる。関口慎吾七段と野口忠雄四段である。しかし、戦中戦後の混乱の中、多くの棋士が将棋生命、もしくは命そのものを縮めた。松田辰雄八段もそんな棋士の一人である。

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 日本将棋連盟が記録をまとめていない時代を生きた棋士は、棋譜すら満足に後世に残らず、語られないまま現在に至っている。そうした棋士に光を当てようと、石川陽生七段、君島俊介さん、けんゆうさんとの共著として同人誌『 不撓 ー忘れられた棋士、松田辰雄八段の記録ー 』をこの度まとめた。この項では、松田の棋歴とその横顔を簡単に紹介したい。

出征により将棋から離れたことで苦しむ

 松田は大正5(1916)年10月8日、奈良県生駒郡法隆寺字龍田で生まれた。長兄に正太郎、兄に政雄、他に姉がいることが分かっている。

 将棋を覚えたのは12歳(数え)で、兄の政雄から手ほどきを受けたようである。昭和6(1931)年に初段、昭和9年に四段昇段。当初村上真一門下だったが、四段昇段後神田辰之助門下となった。昭和11年に五段昇段した所までは順調だったものの、その後伸び悩む。『将棋日本』発表の成績によると、昭和11年度は1勝6敗と大きく負けており、奮起を望まれている。本人や周囲も色々考えていたようで、昭和13年頃に東京の土居市太郎の門を叩き、1年程修行している。この頃、姉の姓名判断を基に「與之助」に改名(戦後元に戻す)。

 東京修行や改名が転機となったか、その後は好成績を挙げ、昭和14年4月に六段昇段。昭和16年も大山康晴五段を香落上手で破るなど好調で七段昇段の点数を確保していたものの、7月に召集令状が届き出征。一番伸び盛りの時期に、将棋から離れてしまうことになった。兵役期間は3年半ほどで、朝鮮国境警備をしていたと伝わっている。昭和19年末に除隊するが、既に日本国内は将棋を指せる環境になく、除隊後の1年間も無為に過ごしていたようだ。

 昭和21年に始まった順位戦の第1期ではB級に入る。しかし、長年将棋から離れていた影響で苦しんだ。最後の3局を全勝しなければ降級する所まで追い詰められたが、全勝し8勝6敗で辛くもB級に残留。昭和22年に入ると調子を取り戻し、東西対抗将棋大手合で名人に挑戦中の塚田正夫八段を破るなど3連勝。阪田三吉翁追善将棋大会のトーナメント戦でも優勝し、活躍が目立つようになる。第2期の順位戦では8勝4敗で11位の成績を残した結果、花田長太郎八段の逝去に伴いA級八段となった。

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最終更新:2/9(日) 11:00
文春オンライン

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