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カネヤンキックを顔面に食らった打点王、トレーバーの魅力/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

2/12(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

ブライアントの新たな相棒として

 1975年にDH制が導入されて以来初の本塁打を放ったパ・リーグの投手は誰だろうか?

金村義明が語る思い出の助っ人「ナインは同情的。それほど近鉄の待遇は悪かった」

 大谷翔平? いや、ドン・シュルジーである。1991年5月29日21時50分、日生球場。近鉄とオリックスの一戦は延長11回裏に突入する。近鉄のクローザー・赤堀元之に対し、右打席に入ったのは身長191センチの背番号42。その巨体から放たれた打球は、象印マホービンのネオン広告が赤く光る左中間の照明塔にぶち当たる超特大の初打席初ホームランとなった。この試合、オリックスは3点リードの9回裏、「五番・DH」石嶺和彦に代え一塁守備固めの飯塚冨司を入れDHを解除していた。同時に“パンチ”こと六番・佐藤和弘に代わって「六番・投手」で登板したシュルジーは乱調で同点に追いつかれ、ドラ1ルーキー・長谷川滋利のプロ初白星が消えてしまう。そこから投げ続け、延長11回の歴史的な自らの一発で勝利投手となった。

 完全なる自作自演じゃねえか……というのは置いといて、そんな球史に残る試合で近鉄の一塁を守っていたのが、ジム・トレーバーだ。この10日前の5月19日、“カネヤン”ことロッテの金田正一監督に乱闘騒ぎで顔面をスパイクで蹴られたあの髭面の助っ人である。ちなみに近鉄のエース・野茂英雄は同年5月9日の日本ハム戦で6試合連続2ケタ奪三振のプロ野球記録を樹立(当時)。「1991年5月の近鉄バファローズ」は平成球史に大きな足跡を残し、おでこにスパイク痕が残ったのがトレーバーだったというわけだ。

 ジム・トレーバーは、90年に前年49本塁打で近鉄V1に貢献したラルフ・ブライアントの新たな相棒として近鉄へ入団した。大リーグのオリオールズ時代は264試合で27本塁打、打率.221。日米野球の際に日本の治安の良さときれいな街並が気に入り、28歳での来日である。トレードマネーは約15万ドル(約2200万円)、年俸は約25万ドル(約3700万円)とお得な助っ人だったが、オープン戦から前評判は高く、『週刊ベースボール』90年4月2日号には「新外国人No.1だ!! ブライアントより上!? 怪力トレーバーの全魅力」という特集が組まれている。

 評論家の皆川睦雄氏は「俗にいうフトコロの深い打者ですね。投球の引きつけが、なによりもいい。だから外角球は左へ。内角は思い切って引っ張ってくる。阪神にいたバースとよく似ているよ」と今も昔も優良助っ人は「バース二世」を期待されてしまうわけだが、佐々木恭介氏も「彼はパワーヒッターであるし、また素晴らしいテクニックも持っている。打率は3割以上はいけるし、ホームランは40本以上は打つだろう。三冠が狙える打者だ」なんて怖いくらいのベタ褒めだ。

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最終更新:2/12(水) 11:19
週刊ベースボールONLINE

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