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72歳になった仮面ライダー2号「佐々木剛さん」 経営する居酒屋、再婚、天皇陛下を語る

2/12(水) 11:00配信

デイリー新潮

大型免許は持ってなかった

 仮面ライダーシリーズは、世界各地で放映されたそうだが、

「お客さんも世界各国から来ますよ。台湾、タイ、マカオ、インドネシア、香港……。台湾の20代の女の子から、『ショッカーの敵、児童の友、剛の2号』という言葉を書軸に中国語で書いてもらいました。彼女はヒーローの愛好会である台湾英雄倶楽部に所属していると話していました」

 と佐々木さん。今でこそ元気だが、40年ほど前に生死をさまよった時期があった。1982年2月15日の早朝、当時の妻と泥酔して自宅アパートに帰宅した時、ガスストーブをつけたまま就寝。ストーブの上にバスタオルが落ちて火事になった。アパートだけでなく、隣家も全焼する大火事に。全身7割に火傷を負ったのだ。一命は取り留めたものの、顔に傷跡が残り、俳優業からは離れることに。

「その後は、警備員、チリ紙交換、焼き芋屋、竿竹屋と職を転々としました。竿竹を売るために、東北を回ったこともあります。春先でしたか、青森の八戸から秋田へ向かう途中、まだ雪が残っていて靄(もや)が流れ、なんとも美しい景色に出会ったのです。しばらく車を止めて見入っていました。この景色を背景に芝居をやれたら楽しいだろうなと思いました。そのことを昔からの親友だった俳優の石橋正次に話すと、彼はずっと、僕が俳優に復帰するのを待っていてくれたようで、すぐに舞台『会津士魂外伝・山本覚馬』(1991年)に出演させてくれたんです」

 この舞台がきっかけで俳優復帰を果たした。栃木県の日光江戸村に所属俳優の演技師範代として在籍し、若手の指導にあたった。常設舞台では、『忠臣蔵』で吉良上野役を演じた。その後、劇団『ロストキッズ』などの舞台に出演。もっとも最近は、ほとんど舞台には立っていないという。

「店は月、火曜日が休みですが、舞台の依頼があっても、月曜しかやらないことにしています。火曜は休養しないといけないしね。最近、疲れやすくなってきて、以前は、魚料理を色々出していたのですが、今は仕入れが大変だからやめています」

 最近の仮面ライダーについて聞くと、

「僕らがやったアクションは、文字通り命がけでした。上昇するヘリコプターに飛び乗ったり、53メートルの高さの煙突に登ったり、命綱なんかありませんからね、落ちたら死にます。死人が出ないのが不思議なくらいでした。それに比べて最近の仮面ライダーは、アクションはCGなんかを使っていますから、何だかなぁという感じです」

 仮面ライダー1号の藤岡弘、がバイク事故で降板。その代役を務めたのが佐々木さんだった。

「実は、当時、バイクの大型免許を持ってなかったんですよ。バイクの撮影の時、お巡りさんがやって来たので焦りました。『これだけアクションをやっているんだから、免許はA級ですか?』と聞かれ、『いやあ、そこまでは』と答えましたが、冷や汗ものでした」

 最後にこんな話も披露してくれた。

「令和の時代になって、新しい天皇陛下が即位された時、テレビのニュースで幼い頃の陛下の映像が流れました。仮面ライダー2号の衣装を身に着け、赤いマフラーをされていました。見ていて胸が熱くなりました。こんな有難いことはありません」

週刊新潮WEB取材班

2020年2月12日 掲載

新潮社

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最終更新:2/12(水) 17:53
デイリー新潮

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