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私は父から「人間としての自由」を奪ったの?認知症介護の苦渋

2/13(木) 9:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

多くの中高年が直面する「親の介護」問題。老人ホームへの入居に抵抗を持つ人も多く、「親の面倒は子どもが見るべき」と親族一同考えがちだ。しかし、フリーライターの吉田潮氏は、著書『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)にて、「私は在宅介護をしません。一切いたしません」と断言する。親孝行か、自己犠牲か。本連載では、吉田氏の介護録を追い、親の介護とどう向き合っていくべきか、語っていく。

認知症の父から「人間らしく生きること」を奪ったのか

◆私の中の罪悪感

介護のプロ・ケアマネージャーの説得で、あっけなく認知症の父の在宅介護を諦めた母。その日の夜、叔母(母の妹)に電話をしている様子を見ていて、私は戦慄を覚えた。

「今はまともなお父さんが3割で、今後もっと減るって、ケアマネさんが話してくれてね」

嗚呼、母よ、それは私が言ったんだけどな。父の介護問題は、実は「母の老化」を確認できるバロメーターでもあると気がついた。ま、諦めてくれてよかったよ。

実はもうひとつ、極めつけの秘策がある。

私も母も日記をつけている。私は5年日記、母は10年日記である。1ページに5年分、10年分書き込めるので、後で見返すと毎年同じ日に何をしていたかがわかる。「2年前も去年も同じことをしてたんだなぁ、人間って変わらないもんだなぁ」と諦めもついたりする。

私はこの顛末を本にしたいと初めから目論んでいたし、実際に日刊ゲンダイで連載もさせてもらった。そのための資料として、日記は有効活用できる。私だけでなく、母にも協力してもらおうと考えた。「介護の苦労を書いた部分を読み返して、正確な日付を教えてほしい」と伝えた。母に過去の日記を読み返してもらう。

「(夫が)いつか寝たきりになったら、おいしいものを作って、わざと遠ざけて食べてやる」

「(夫に)鼻クソや目ヤニをわざとつけられて殺意を抱いた」

「来る日も来る日も尿臭、絶望」

などの記述を反芻(はんすう)させた。さすがの母も、思いとどまったようだ。最終的には「在宅介護はもう無理ね」と母に言わせたのだ。もうね、そんな自分を褒めてあげたい。

さて、私の中の罪悪感もゼロではない。実はレオナルド・ディカプリオの映画『シャッターアイランド』を観ていてつらくなった。離島の精神病院(凶悪犯罪者のみ収容)に捜査で訪れた刑事が、実は自身が精神病だったという話だ。「なぜ自分がここにいるのかわからない」と訴える姿が父と重なる。

人間らしく生きること、それを私が奪ったのではないかと考えてしまった。

エンタメを楽しめなくなるのはよろしくないし、悲観的なことばかり口にするのも周囲に気を遣わせて迷惑だ。まず、できるだけホームを訪問すること。職員の心証もよくなるし、手も抜かれないはずだ。あざといが、お菓子などの手土産も時折渡す。

そして、父の日常に刺激を入れるために、週2回の訪問マッサージを導入。1回20分で約600円。施設以外の他人と接する機会を増やし、優しい女性の有資格者に施術してもらうので、父もちょっとは心華やぐだろう。私の罪滅ぼしは、父の「快」の感情を増やすこと。それしかない。

介護とは「お金」と「罪悪感」。このふたつとどう付き合っていくか、に尽きる。

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最終更新:2/13(木) 9:00
幻冬舎ゴールドオンライン

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