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「オレは弱い球団ばかり…」ノムさんがボヤき育てた“3人の教え子”たち〈dot.〉

2/14(金) 17:00配信

AERA dot.

 今月11日に急逝した野村克也氏は、南海のプレイングマネージャーを皮切りに、ヤクルト、阪神、楽天と計4球団の監督を務めたが、ヤクルトの4位を除き、3球団までが、前年は最下位。そのヤクルトも、前年までの8年間で最下位4度の万年Bクラスだった。

【お宝写真】南海時代の野村克也さんと巨人時代の王貞治さん=1965年

 野村氏は「オレは弱い球団ばかりやらされる」とボヤきながらも、「どうすれば弱者が強者を倒すことができるか?」という一事に心血を注いだ。

 それは「まず弱いということを素直に認め、野球の意外性という要素も踏まえて、文字どおり、“予想は難しい”という野球をやった。相手に“ノムさんのことだから、何をやってくるかわかららない”と思わせたら、こっちのペース。まさに思う壺だ」というもの。その基本を織りなすのは、守りの野球だった。「失敗する監督というのは、攻撃型のチームを作りたがって、打率ばかりを追いかける。私は逆だ。キャッチャー出身というのもあるのだけど、0点で抑えることばかりを考えている。そうすると、チームは、“1点取れば勝てる”、“今日は勝てそうだ”という気持ちになるわけだ」。

 そんな野村ID野球で最も重要なポジションは、もちろん「守りにおける監督の分身」たる捕手だ。

 南海時代は自らが捕手を務め、73年にリーグ優勝。その後も「新監督にとっての最初の仕事は、正捕手づくりである」の信念に基づき、ヤクルトでは古田敦也、阪神では矢野耀大、楽天では嶋基宏を正捕手に抜擢し、一人前に育てた。

 ヤクルト監督1年目、野村氏は当初前年までの正捕手・秦真司を起用したが、投手にサヨナラ本塁打を打たれるなど、リード面に問題があった。そこで、守備力が売りのルーキー・古田を4月30日の巨人戦で起用することを決め、前日の試合中、「今夜は寝ずにリードのことを考えてこい」と命じた。すると、古田は、巨人の各打者についてのベンチでの野村氏のつぶやきを一言も聞き漏らすまいと密着し、合宿所に帰ると、午前3時過ぎまでビデオで巨人打線の分析を繰り返した。その結果、翌日の試合では、満塁のピンチで駒田徳広にフォークを続けて投げさせて打ち取るなど頭脳的リードを見せる一方、自ら決勝2点タイムリーも放ち、開幕からの巨人戦の連敗ストップの立役者に。以来、正捕手の座を不動のものにする。そして、野村氏の監督退任後も含めて5度のリーグ優勝と4度の日本一に貢献した。

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最終更新:2/14(金) 18:29
AERA dot.

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