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「二・二六事件」85年目の真実 唯一“戦死”した陸軍大将

2/15(土) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 すると玄関の土間に朝刊を入れる音がした。私がそれを取りに起きて再び横になると、花火を揚げるような音がした。いつも駅前マーケットで安売する日は、朝早く花火を揚げる連続音が聞えていた。

「今日は早くからマーケットを明けるんだな」

 私は独りでそう言って、新聞を顔の上に拡げたきり寝てしまった〉

 さらにこの襲撃が、他の要人のケースと大きく違うのは、渡辺本人が襲ってきた決起将校らに対して反撃していることだ。『渡辺錠太郎伝』著者の岩井秀一郎氏が解説する。

「渡辺は襲撃グループに応戦し、拳銃の弾を撃ち尽くしていました。この日、二・二六事件で襲撃目標とされた人物の中で、応戦した警察官などを除いて、唯一『戦死』したのが渡辺錠太郎でした。渡辺はもともと射撃の名手として知られ、腕に自信があったため、逃げることなく応戦したものと思われます。しかし、襲撃部隊は30人ほどで、軽機関銃や小銃で武装しており、とても渡辺1人(ほかに護衛の憲兵2名)では太刀打ちできませんでした」

◆機銃掃射で「蜂の巣のように」

 井伏は、渡辺の被害についてその後に近所で伝え聞いた話も記録している。

〈襲撃に来た兵隊は[中略]庭に入って機関銃を据えて発砲した。渡辺さんは軍人だから「打つなら打て」と言って、自分もピストルを抜いて応戦した。

 騒ぎが終り反乱兵が引揚げると、四面道(しめんどう)の戸村外科医が応急手当をしに渡辺さんのうちへ呼ばれて行った。蜂の巣のようになっていて、手がつけられるものではなかったという。[中略]

 二・二六事件があって以来、私は兵隊が怖くなった〉(前掲書)

 襲撃対象の中でただ一人、決起将校らと同じ陸軍軍人だったことも、渡辺錠太郎殺害の意味を見えにくくさせている理由かもしれない。

 二・二六事件は、軍部独裁を目指す「皇道派」と呼ばれるグループが中心になって起こした事件だった。渡辺自身は当時、どの派閥にも属していなかったが、事件の首謀者である皇道派の磯部浅一は渡辺のことを、〈吾人の行動に反対して弾圧しそうな人物の筆頭〉と断じていた。そうした派閥争いの中で「敵」と目され、荻窪まで30名の武装将兵がやってきて殺害されたのだった。

 そう考えると、唯一の「戦死」の意味は決して小さくない。「非戦」を訴えていた渡辺錠太郎の死は、その後の日本の命運を暗示していたともいえるのではないか。

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最終更新:2/15(土) 7:00
NEWS ポストセブン

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