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山口組顧問弁護士が明かす「暴力団平成史」 私が渡った危ない橋

2/15(土) 8:00配信

デイリー新潮

映画の仕切り役

 ときは85年のプラザ合意により、日本経済が空前のバブル景気へと向かう時代。山口組では、竹中4代目政権に異を唱えて結成された一和会との史上最悪の「山一抗争」が繰り広げられたが、山口組がもてる武力を遺憾なく発揮して一和会を解散させえたのも、司令塔・宅見若頭の豊富な資金力(戦費)あってのことにほかならない。

 この山一抗争の実話を基に、その裏側でマグマのように燃えたぎる人間ドラマを山之内氏が小説化した『悲しきヒットマン』はベストセラーになり、三浦友和主演で映画になった。

 89年に抗争は終結。その翌年には、志茂田景樹の原作を中井貴一主演で映画化した「激動の1750日」が封切られ、これもヒットする。旬の“危ないネタ”の映画化にあたり、東映の岡田茂社長、大物プロデューサーの俊藤浩滋氏から実質的な仕切り役を任されたのが、顧問弁護士の山之内氏だった。

「東映は田岡3代目役を高倉健が演じた実録物『山口組三代目』を大ヒットさせた縁もあり、当時は窓口として私に白羽の矢が立っただけです。敵も味方も関係者が全員健在という状況で実録ドラマが成立したのは、宅見さんの度量によるところが大きかった。主人公のモデルとなった渡辺5代目本人に気になる点について相談しようとしたら宅見さんに『やめておきなはれ』と止められました。それではまとまる話もまとまらないと案じた宅見さんが最終的にケツを持ってくれたんですね」

 若い世代が守旧派にとってかわり、暴力社会の覇者として駆け上がっていく過程を描いた映画がヒットしたことで、裏社会はもとより世間一般にも「強い山口組」の武闘派イメージが浸透していった面は否めない。

 その暴力至上主義的イメージあってこそ、「事業の揉め事、とくにヤクザ絡みのトラブルは相談すればなんとかなる」という、経済界からの妙な“信頼”を手中に収めることにつながるのだ。

 前述の宅見組忘年会の狂態は、表経済に山口組が浸透していった蜜月時代の一コマにすぎない。

(2)へつづく

「週刊新潮」2020年2月13日号 掲載

新潮社

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最終更新:2/15(土) 8:00
デイリー新潮

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