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野村克也さんが語っていた「投手サッチーを失って」 晩年のぼやきインタビュー

2/17(月) 5:57配信

デイリー新潮

 2月11日に亡くなった野村克也さん(享年84)といえば、猛妻・沙知代さんとの“婦唱夫随”の関係でもおなじみだった。2017年に先立たれたノムさんは、どんな男やもめ生活を送っていたのか。週刊新潮の取材に語った「孤独との向き合い方」ほか、晩年の“ぼやき”を再掲載する。(以下は2019年5月16日号掲載時点の情報です)

【野村克也さん】選手の心に突き刺さった「殺し文句」 とは?

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「手を握ってほしい」

〈歴史的な名スラッガーなのに恐妻家。そしてぼやき。野村克也という人物は一見、とらえどころがないように見えながら、その実、「女房役」という言葉で、人物像をかなり語れそうだ。

 その戦績は実に輝かしい。1954年のシーズン途中にテスト生として南海に入団すると、56年には正捕手に定着。翌57年に本塁打王を獲得すると、65年には戦後初の三冠王に輝いた。70年に兼任監督になるが、77年に退任し、ロッテ、西武へと移籍し、生涯一捕手であろうとした。80年に引退するまでの成績は、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回を数え、2901安打、657本塁打、1988打点を残している。

 監督としても南海のほかヤクルト、阪神、楽天で、リーグ優勝を5回、日本一を3回達成。名将の名をほしいままにしたが、一方で、率いるチームが快進撃を続けていても、口から出るのは前向きな言葉よりも、ぼやき。加えて強いイメージは、45年間連れ添ったサッチーこと、沙知代さんの尻に敷かれる姿である。

 だが、要は、生粋の捕手であり、投手を支える縁の下の力持ちだという意味で、野村氏は「女房役」であり続けたのだ。〉

 サッチーは本当に自己中心のわがままな性格で、野球にたとえれば、「わがままな大投手」ですかね。だから、僕はグラウンドでも家でも、キャッチャーだったんですよ。彼女は妻らしいことをなにもしないで、全部お手伝いさん任せだったからね。ご飯を食べるにしても、家で食べるのか、外で食べるのか、なにを食べるのか、というのも全部彼女が決めていました。僕はただそれに従うだけだったから。でも、ピッチャーがいてくれないと、キャッチャーとしては、やっぱりさみしいもんですよ。

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最終更新:2/17(月) 5:57
デイリー新潮

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