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オシムに心酔していた阿部勇樹。 自らの移籍についても「相談した」

2/17(月) 6:10配信

webスポルティーバ

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第13回サッカー人生を劇的に変えた運命の出会い~阿部勇樹(2)

【写真】柱谷哲二が語るドーハの悲劇。イラク戦で投入してほしかった選手とは

 2003年、イビツァ・オシムとその"息子たち"(当時、ジェフユナイテッド市原)は、リーグ戦を勢いよく駆け抜けた。ファーストステージ3位、セカンドステージ2位と、両ステージで優勝争いを演じて、年間総合3位になった。

 阿部勇樹にとっては、大きな成長を感じられるシーズンとなった。オシムと出会い、キャプテンを任されたことで、自らを徐々に変えることができたのだ。

「僕はジェフで、運よく17歳から試合に出させてもらって、それからはいつも上の年齢の人たちとプレーしてきた。いつしか、その環境に慣れてしまって、『このくらいやればいいか』って感じでプレーしていたんです。

 そうした状況にあって、自己表現ということを考えると、正直『自分はおとなしいな』と思っていた。(試合中の)指示とかも『自分がこれを言うと間違っているんじゃないか』って思うことがあって、なかなか言えなかったんです」

 性格的におとなしいのもあるが、阿部が自己表現に乏しかったのは、自らのプレーに確固たる自信をつかんでいなかったこともある。だが、キャプテンに指名され、チームの舵取りを任されることになった。試合ではボランチとして、攻守の要としてプレーすることを求められた。

 そんな環境に置かれて、阿部は自らの意思や考えを発信せざるを得なくなった。そのうえで、チームが勝ち、結果を出すことで、自らのプレーにも自信が持てるようになり、これまでは黙々とプレーしていた阿部の声が、練習でも、試合でも、ピッチ上で響き渡るようになった。

「(2003年シーズンは)育成担当のコーチとか、昔の自分を知る人に会うと、『おまえ、変わったよなぁ』とよく言われました。そう言われると、オシムさんの下でサッカーをして、キャプテンをやることで、『変わっていくことができたのかなぁ』と思いましたね。

 実際(練習や試合で)よく声を出すようになったし、表情とかも変わって、明るくなったような気がします。試合で指示を出すこと、(周囲と)コミュニケーションを取ること、相手に自分の思いを伝えること......それらはすごく大事なこと。そうしたことをもっと早く理解していれば、僕のサッカー人生はもっと変わっていたかもしれない」

 阿部の成長は、ピッチ上だけには止まらなかった。オシムの教えや、キャプテンを任された経験から、サッカーに対する姿勢や考え方についても、大きな変化が見られた。

「オシムさんに『考えて、走るサッカー』と言われて、最初はピッチ上のことだけだと思っていたんです。でも、オシムさんは『24時間、サッカーのことを考えろ』とも言っていました。そうして、オシムさんが日々サッカーを見て、過ごしていたことを知り、自分もその影響を受けて、それまで以上に(日頃から)サッカーを見るようになったし、サッカーのことを常に考えて日常生活を送るようになりました。

 サウナに行って、冷水と交互に入って疲れを取ったり、マッサージをする日を決めて、きちんと体のケアをしたり、(プロサッカー選手としての)今につながるルーティンができた。それからは、ケガとかが少なくなりました。若い頃はケガが多かったんですけど、その頃は意識が足りなかったんだな、と思いましたね」

 阿部の存在感は一気に増した。周囲の評価は右肩上がりになり、2004年アテネ五輪を戦うU-23日本代表の中軸にもなった。

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最終更新:2/17(月) 6:10
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