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阿部勇樹の悔恨「オシムさんが倒れたのは 自分の責任だと思っている」

2/18(火) 6:00配信

webスポルティーバ

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第13回サッカー人生を劇的に変えた運命の出会い~阿部勇樹(3)

【写真】福田正博が語る「世界で一番悲しいゴール」

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 阿部勇樹が「監督が危篤」という報告を受けたのは、イビツァ・オシムが倒れた翌日だった。関係者から連絡が入って、面会謝絶の状況だと聞いた。

「連絡をもらった時は、驚きましたよ。とにかく『無事であってほしい』と思ったし、早く『無事だ』という報告を聞きたかった。すぐにでも病院に行きたかったけど、面会謝絶なので、行っても会えないし、モヤモヤしながら自宅待機していたのを覚えています」

 オシムは、もともと心臓に持病を持ち、高血圧でもあり、健康面には不安を抱えていた。この時は、深夜にプレミアリーグの試合をテレビで観戦したあとに倒れ、緊急搬送された。

 意識が回復するまで、10日以上かかり、ようやく危篤状態から脱した。その後、容態が安定し、面会もできるようになった。

 2007年に、ジェフユナイテッド市原から浦和レッズに移籍した阿部は、その頃、FIFAクラブW杯に出場。準決勝まで駒を進め、カカやアンドレア・ピルロをはじめ、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アレッサンドロ・ネスタら多彩なタレントを擁するミランとも戦った。

 その試合が終わったあと少しして、阿部はその報告を兼ねて、オシムが入院する病院を訪れた。

「(オシムの)病室を訪れた時は、なんか変な汗が出て、すごく緊張しました。会うのが久しぶりだったせいもあったのか、(ジェフで)キャプテンになって、みんなに『休みをもらってこい』と言われて、監督室に行った時のような緊張がありました。

 でも、顔を合わせると、『どうだった、ミランは?』って聞かれて(笑)。病気で寝ている状況でも、サッカーを見ていてくれたようで、うれしかったですね」

病室では、最後までサッカーの話ばかりしていたという。

 そしてその後、オシムは「この状態では戦えない」と、日本代表監督を辞任した。阿部が描いていた、オシムと一緒にW杯を戦うという夢は、ここで潰えてしまった。

 阿部は、オシムが倒れたことに、ずっと責任を感じていたという。

「アジアカップで優勝していれば......」

 阿部は天を仰ぐようにして、そう言った。

 2007年7月のアジアカップ。3連覇がかかっていた大会で、日本はグループリーグを順当に突破し、決勝トーナメント1回戦ではオーストラリアとのPK戦に及ぶ死闘を制した。

 ただ、同大会でセンターバックでプレーした阿部は、自らが満足できるプレーがなかなかできず、悔しい思いをずっと抱えていた。実際、グループリーグから無失点で終える試合が1つもなかったのだ。

 迎えた準決勝のサウジアラビア戦、日本は2-3で敗れた。その試合で、阿部はゴールを決めたものの、3失点を喫したことに大きな責任を感じていた。そして、日本は3位決定戦でも韓国に敗れ、4位に終わった。

「アジアカップでは、自分がいいプレーができなくて......。準決勝では3失点して、サウジに負けてしまったし、韓国にも敗れた。その結果を含めて、いろんな面でオシムさんに大きな負担をかけてしまった。

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最終更新:2/18(火) 6:00
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