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「なんであんなに叩かれてるの?」と 心配されるDeNA倉本寿彦の苦闘

2/20(木) 6:10配信

webスポルティーバ

倉本を野球に戻したのは、母親の言葉だった。 「好きな野球をやると自分で決めたのなら、最後までやり抜きなさい」

 以来、心が折れるたび、その言葉を支えに立ち上がってきた。"そこらへんにいる普通の野球少年"だった倉本が、人よりもずば抜けて強く持っていたのは、"最後までやり抜く"という野球への一途な思いと憧れだ。

「試合に出るためには」「プロに入るためには」と考え、練習をやればやった分だけうまくなる。その喜びだけに従順に、憧れの横浜高校、そしてプロ野球を夢見ながら、文字通り朝から晩までボールを追いかけた。やがて無謀と言われた横浜高校でレギュラーを掴み、大学ではドラフト候補になるまで頭角を現した。大卒でプロ入りが叶わず道が途絶えそうになった時も、社会人・日本新薬に拾ってもらい25歳まではプロを目指すと決めた。

 14年、最後の挑戦と決めた年、都市対抗などでの活躍が認められ、ドラフト3位で横浜DeNAベイスターズからの指名を受け、倉本はようやくプロ野球選手になった。

「今となってはプロに行くまでに遠回りしたことが、僕には必要な時間だったと思えています。苦しんでいるなかで『どうすればよくなれるか』と考えて、道を探していくことで野球人としても、人間的にも成長することができた。

 プロに入ってからも成績が出ないと、どうしても周りから苦しんでいると見られてしまいますけど、野球が嫌になったことは一度もないし、自分にとっては、成長するには必要な時間だと思いたい。もちろん、プロとして成績は残さなきゃいけない。野球がうまくて、人間的にもよくなれたら一番いいんですけどね」

野球選手として芯の部分は、頑として譲れないものはある。その一方で、倉本はプロ入りしてからも、自分のスタイルを変えながらキャリアを重ねてきている。ルーキー時代、かつて門田博光に見初められた長打を狙う打撃を捨てることも、セ・リーグの9番という未知の打順も。そして、大好きで、楽しくて、誇らしかったショートからのポジション変更も。「試合に出たい」という大義の前に、自分の姿を変えながらここまできた。

「もう後がない」と思ったことは一度や二度じゃない。どんな場面でも心を平らに、前向きに。小さな石をひとつずつ積み上げてきた力を発揮できれば、最後には絶対に勝てる。追い込まれた土壇場からでも挫(くじ)けない信念は、下から這い上がってきた者の強みだった。

* * *

「ねえ、なんで倉本はインターネットであんなに執拗に叩かれているの?」

 ベイスターズのあるコーチに聞かれたことがある。彼だけじゃない。ここ数年で、同じように心配する人の声を幾度となく聞いた。

 17年頃からだったろうか。ネット上で倉本の守備に対する批判の声が噴出し、それは日増しに大きくなっていった。はじめこそ倉本に好意的でない人たちの中傷だったのかもしれない。だがいつしか普通のファンの間でさえ、さしたる悪気もないまま"ネタ"として面白おかしく語られるような事態になっていた。

「でも、あいつはメンタルが強いからね。大丈夫だと思うけど......」

 チームメイトたちの心配の後には、決まってそういう言葉が続いた。確かに表情を変えず淡々とプレーしている倉本を見ていると、何があっても動じないような空気を漂わせている。そのメンタル強者然とした佇まいが倉本の武器になっているともいえたが、一方で「覇気がない」などと勘違いされてしまう弊害も持ち合わせていた。

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最終更新:2/21(金) 10:05
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