ここから本文です

人類は数百万年前から「評価社会」を生きてきただから、ひとは「嘘つき」で「自信過剰」【橘玲の日々刻々】

2/21(金) 21:00配信

ダイヤモンド・ザイ

 ウィリアム・フォン・ヒッペルはアメリカの進化心理学者で、現在はオーストラリアのクイーンズランド大学で心理学を教えている。『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人よしなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は、最新の研究をもとに人間の行動と社会の仕組みを説明する楽しい読み物だ。原題は“The Social Leap : The New Evolutionary Science of Who We Are, Where We Come From, and What Makes Us Happy(社会的跳躍 われわれは何者で、どこから来て、何がわれわれを幸福にするのかの新しい進化科学)。

 ここでは私のこれまでの本と重ね合わせながら、興味深い内容のいくつかを紹介してみたい。

●「日本の若者も思春期の女性が男性より冒険的になる」
 両性生殖の生き物は、なんらかのかたちで近親婚による有害な遺伝的変異を避ける仕組みをもっている。人類にもっとも近い霊長類であるチンパンジーやボノボの場合、メスは思春期を迎えると「冒険的」になって、慣れ親しんだグループ内のオスではなく、他の集団のオスに興味を持つようになる。異なるグループが遭遇するとメスが他の集団に移っていったり、思春期のメスがふらりと群れを離れ、たまたま出会った別の群れに加わったりする。

 同じような進化の仕組みがヒトにも埋め込まれている傍証として、拙著『上級国民/下級国民』(小学館新書)で日本の大学生の留学状況の顕著な性差を紹介した。独立法人日本学生支援機構の「平成25年度協定等に基づく日本人学生留学状況調査」によると、学生交流に関する協定などで留学した学生は男子が1万6446人(36.5%)に対し女子が2万8636(65%)と倍ちかい開きがあるのだ。

 もちろんこれだけで「チンパンジーやボノボと同じように、日本の若者も思春期の女性が男性より冒険的になる」と決めつけることはできないが、ヒッペルによれば、祖先の歯のストロンチウムの濃度を測ることによって、この問題の答えはすでに出ているのだという。

 この研究を行なったのはマックス・プランク進化人類学研究所のチームで、数百万年前の人類の祖先アウストラロピテクス・アフリカヌスのさまざまな歯の化石のストロンチウム比を計測した。ストロンチウムはカルシウムと同じように体内に摂り込まれる金属で、主として骨や歯のなかに蓄積する。

 ストロンチウムには4つの異なる型(同位体)があり、その割合は地域によって変わる。ある地域では特定の型のストロンチウムが多く、地域が異なれば別の型のストロンチウムが多くなるのだ。

 ストロンチウムは成長と発育によって歯に摂り込まれるため、古代人の歯を分析すれば、ストロンチウムの異なる型の比率を調べることができる。ストロンチウム比がその地域の岩盤の比率と一致すれば、歯の持ち主がその地位で育ったとほぼ断定できる。逆に地域の岩盤と比率が異なるなら、歯の持ち主は幼年期を過ぎてからその地域に移り住んできたのだ。

 調査の結果はどうだったのだろうか?  研究者たちは、「大きめの歯はその場所の地質と一致したが、小さめの歯は一致しない」ことを明らかにした。

 一般に男の方が女より体格が大きいから、必然的により大きな歯をもつことになる。ここからヒックスは、「このデータは、チンパンジーと同じように女性のアウストラロピテクスが生まれついた集団を離れ、近親交配を避けていた可能性を示唆するものだといえる」と述べる。

 日本社会では男の子は外向的でさまざまなことにチャレンジし、女の子は内向的でおとなしいとされている(すくなくともこれまでは)。子どもを産み育てる性である女が進化の過程でリスクを避けるようになったことはさまざまな研究で指摘されているが、だからといって「家庭的=保守的」ということにはならない。古代人の歯や骨のデータは逆に、思春期の女の子は新しい出会いを求めて、男の子よりもずっと冒険的・積極的になるように進化の過程で「設計」されてきたことを示している。このことは留学生数の性差だけでなく、さまざまな社会現象によってこれから明らかになっていくのではないだろうか。

 ちなみに、ひきこもりの人数は男が女の2倍ほど多い(不登校の人数には性差はないようだ)。これももしかしたら、男が生まれ育った場所から動かないように「設計」されていることと関係するのかもしれない。

●人類は「石を投げる」ことで捕食者に対抗した
 人類の祖先は700万年から500万年前のどこかでチンパンジーとボノボとの共通祖先から分岐した。それがアフリカのどこで起きたかについては諸説あったが、近年の研究は、東アフリカの大地溝帯(リフトバレー)だという認識で一致しつつあるようだ。

 大地溝帯は大陸プレートが異なる方向に引っ張れる場所で、それがエチオピア、ケニア、タンザニアにまたがる広大な地域を押し上げた。これによって大地溝帯の東側の熱帯雨林は徐々に乾燥し、サバンナへと変わっていった。

 それまで熱帯雨林で果実やベリーをいくらでも食べられた類人猿の祖先は、気候変動によって食糧が減ったため、サバンナに降りざるを得なくなった。だがそこには、ライオンやトラなどの危険な捕食動物がうようよしていた。

 じつは、人類とチンパンジーの共通祖先以外に、樹上生活から地上生活への移行を余儀なくされた近縁の種がいる。それはヒヒで、現在も数種がアフリカのサバンナに棲息している。

 ヒヒはどうやって、この危機を乗り越えたのだろうか。それは大きな集団で暮らすことと、発達した門歯(牙)によって捕食者と闘うことだった。

 それに対してヒッペルは、人類は身体を改造するのではなく、「石を投げる」ことで捕食者に対抗したのだという。

 大航海時代に「原住民」と対峙したヨーロッパの探検家は、たびたび石投げの洗礼を受けた。15世紀のフランスの探検家はこう書いている。

 ほぼ一瞬にして、彼らはわれわれをこてんぱんに打ちのめし、こちらはすぐに安全な場所に戻るしかなかった。飛んできた石のせいでみな頭から血が流れ、腕や足の骨も折れていた。彼らはほかの武器のことなどなにも知らない。にもかかわらず、キリスト教徒よりもはるかに巧みに石を扱って投げた。彼らが投げる石は、まるで石弓の矢のようだった。

 これまでの通説では、人類は火を手にしたことで危険なサバンナを生き延びることができたとされる。だがこれでは、それまでどうやって捕食者の餌食にならずにすんだのかを説明できない。「石投げ仮説」はこの空白を埋めることができる。

 人類が石を投げるように進化してきたことは、化石記録でも裏づけられている。およそ350万年前に東アフリカにいたアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)は「ルーシー」で知られるが、「チンパンジーと比べて手と手首の可動域がより広く、上腕の柔軟性が高く、肩が水平に近く、股関節と下部胸郭のあいだの空間が大きかった」という。こうした身体の変化は、二足歩行だけでなく、モノを投げることにも非常に効果的だった。

 ヒッペルは触れていないが、石を投げたのは主に男だったのではないだろうか。若い女の多くは子どもを抱いていたはずだから、その態勢のまま石をつかんで投げることはできなかったはずだ。このことは現在も性差として残っていて、投てきは明らかに男の方が得意で(プロ野球の始球式で、女性タレントの投球がノーバウンドで捕手まで届くとニュースになる)、腕を折り曲げてモノを持つことは女の方が得意だ。

 女性のバッグがひじにかけられるようにつくられるのは文化的なものではなく、そのほうが持ちやすいからだ。なぜなら、赤ん坊を抱く時のひじのかたちと同じだから。それに対して男は、重いものをひじにかけて持とうとはしない。これも進化の過程で生じた男女の身体的な性差だろう。

 約350万年前には、サバンナに進出した人類は、ヒヒと同じように集団で暮らし、石を投げるのに適した手首や肩を進化させたことで、捕食動物から身を守っていた。これはたしかに納得できるが、それでも疑問は残る。チンパンジーとの共通祖先から分かれて以降、「石投げ」を習得するまでの200万~300万年のあいだ、人類はどうやって生き延びてきたのだろうか。

 この疑問に対するもっとも説得力のある答えは、「アクア説(水生人類説)」だと私は思う。

[参考記事]●人類はサバンナではなく水辺に移って進化したという「アクア説」がきわめて高い説得力を持つ理由

 プレートの分岐によって熱帯雨林を失った人類の祖先は、ヴィクトリア湖、タンガニーニ湖、あるいはエチオピア高地にあるタナ湖など大地溝帯にできた巨大な湖に移り住み、半水生生活をすることで捕食動物を避けた(ライオンやトラなどの肉食獣は泳げない)。

 水中では四足歩行より二足歩行のほうが有利で、体毛を消失した代わりに皮下脂肪を蓄えるようになった。どれもサバンナの動物にはない、人類だけの特徴だ。こうした水辺での集住生活を数百万年続けるなかで、知能とコミュニケーション能力を発達させ、同時に石を投げる技術を体得したことで、わたしたちの祖先はより栄養価の高い食料を求めてサバンナへと進出したのではないだろうか。

●人類は数百万年前から「評価社会」を生きてきた
 すくなくとも350万年前には、人類の祖先はサバンナで150人程度の集団をつくり、そこで「社会性」を高めていった。ぶ厚い毛皮も戦うための牙ももたない人類は1人ではきわめて弱い個体で、共同体から放逐されることはただちに死を意味した。共同体に適応する能力=社会性を獲得することは、文字どおり死活問題だったのだ。

 ヒッペルは、自尊心、罪悪感、恥のような「自己意識的感情」はここから生まれたという。「集団の価値を高めるような行動をとったとき、わたしたちは自尊心を抱く。集団の誰かに害を与えたとき、わたしたちは罪悪感を抱く。集団のまえで自分たちの価値を下げる行動をとったとき、わたしたちは恥を感じる」ようにつくられた人類は、数百万年前から「評価社会」を生きてきたのだ。

 「心の理論」は相手がなにを考えているかを理解する能力のことで、人間だけがもつ。それに対して「共感力」は、相手が感じていることを自分も同じように感じることで、この2つは別のものだ。

 ヒッペルは、「進化によって与えられたあらゆる傾向のなかでも、自分の心の内を他者と共有したいという願望こそが、人間を食物連鎖の頂点に押し上げるうえでもっとも重要な役割を果たしたのではないだろうか」と述べる。だがこれは、「わたしのことを知ってほしい」「あなたのことを理解したい」という共感の欲求では必ずしもない。

 人間の行動に利他性が見られることは間違いないが、進化の基本単位である遺伝子は常に利己的だ。生き物のあらゆる特徴は生存と生殖に最適化されており、遺伝子の複製を最大化するように「設計」されている。

 だとしたら、「心の理論」が進化した理由はなんだろう。それをヒッペルは、「ほかの人の心に自分の考えを植え付けることは、集団を自分の好きな方向へとうながす絶好の機会を与えてくれる」からだという。それと同時に、「自分の考えや感情が他者に受け容れられると、集団内の自らの地位が確かなものになり、将来について安心感を抱けるようになる」。この2つの要因によって、本来は利己的なものであるはずの「心の理論」が、社会的な協調や分業に役立つようになったのだ。

 「心の理論」の本質が「相手の心を操作したい」「集団内での自分の地位を安定させたい」だとすると、そこから“嘘”と“誇張”が生まれるのは必然だ。嘘によって相手をうまくだますことができれば自分の利益になるし、誇張によって実際より自分をよく見せることができれば、労せずして集団内の地位が上がる。道徳的に批判されるこれらの行為は“人間の本性”なのだ。

 とはいえ、すべてのメンバーが嘘と誇張しかいわないのなら、協調や分業などできるわけはなく、共同体はたちまち崩壊してしまうだろう。そうならないのはブレーキが備わっているからで、それが「自制心」だ。これは脳の外側前頭前皮質(LPFC)と前帯状皮質(ACC)が関係している。

 研究室に被験者を集め、実験者が「わたしが大好きな中国の郷土料理をぜひ食べてください」といって、タッパーから鶏足の煮込みを取り出して見せるという実験がある。日本の中華料理店ではあまり見かけないが、中国や香港ではよく出てくる定番の料理だ。けっこう美味しいが、ヨーロッパ人にはまったく馴染みがなく、ほとんどは強い拒否感を示す。

 実験でも、タッパーから料理が出てくると室内は重い沈黙が支配し、その後、おどおどと鶏の足をつまみあげ、なんとかかじりつく勇気を奮い起そうとした者もいれば、「自分はベジタリアンだ」「ユダヤ教の戒律に従って調理したコーシャー料理しか食べない」などの言い訳を思いついた者もいた。

 研究者がその後、被験者の脳をfMRIで調べたところ、ACC(前帯状皮質)が敏感なひとほど、より社会的に適切な反応(「興味深い料理ですね」などといいながら、相手に失礼にならない言い訳を考えつく)をすることがわかった。それに対してACCが鈍感な被験者は、衝動的な反応(うえっ、気持ち悪い)を抑え込むことができなかった。

 ACCと自制心の関係は明瞭で、その人物が過去に反社会的な行動にかかわったかどうかはACCの敏感性/鈍感性だけでほぼ正確に予測できた。

●「ヒトは共同体のルールに従いつつも抜け駆けしようと試みている」
 進化心理学者のロバート・トリヴァースは1970年代に、「わたしたち人間はより効果的に他者を欺くために自分を欺くように進化した」と主張したが、これが正しいかどうかはこれまで検証されたことがなかった。だが近年は、さまざまな興味深い研究が積みあがってきている。

 カリフォルニア大学バークレー校の研究チームは、学生たちを少人数の作業グループに分けた実験で、多くの被験者が相手が「博識」なのか「自信過剰」なのかを区別できないことを突き止めた。アムステルダム大学の研究チームがプロの人事コンサルタントを被験者に、どの応募者を管理職に昇進させるかを調べたところ、的確に自己認識できている志願者よりも自身過剰の候補者のほうが推薦されることが多かった。「経験豊かな人事コンサルタントでさえ、「現実的な自己認識」と「口から出まかせ」を区別することができなかった」のだ。

 ヒッペルの研究室の実験では、自分の運動能力について過信する男子学生は、高学年になるにつれて実際に人気が高くなる傾向があることがわかった。自信過剰の効果は短期的なものにかぎらず、「長期にわたる社会的ネットワークのなかでも好影響を及ぼす」のだ。

 多くの人は「自信過剰」と「うまく調整された高レベルの自信」を区別することが苦手だ。結果として、非現実的なほど壮大な自己像をもつ人のほうが、リーダーシップ競争において有利に闘いを進めることになる。残念ながら、「自己欺瞞は社会的な武器」というトリヴァースの予測は正しかったのだ。

 私は『朝日ぎらい』(朝日新書)で、「ヒトは共同体のルールに従いつつも抜け駆けしようと試みている」と論じた。ルールに従う、つまり道徳的に振る舞っているだけでは、いいように扱われてヒエラリキーの下層に押し込められるだけだ。そう考えれば、共同体で成功できるのは、道徳的に振る舞っているように装いつつ、実際には不道徳に行動する戦略だということになる。

 リベラルと保守の比較では、リベラルの方が知能(学歴)が高く、経済的にもゆたかなことがわかっている。これは、リベラルがその高い知能を使って「抜け駆け」しているからで、だからこそ保守派はリベラルを忌み嫌うのではないかというのが私の仮説だったが、ヒッペルによればこの「知能」はIQのことではなく、社会的知能すなわち誇張や自己欺瞞、自制の能力のことのようだ。

 ちなみにヒッペルは、イノベーションに必要な「拡散的思考」についても述べている。これは「問題に対して異なる解決案を考え出す能力」とされるが、IQとは無関係だという。この拡散的思考はパーソナリティのビッグファイブの「経験への開放性」に相当するのだろうが、それについては別の機会に論じたい。


 橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)。

●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン
』を毎週木曜日に配信中! (20日間無料体験中)

橘玲

最終更新:3/3(火) 17:55
ダイヤモンド・ザイ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo! JAPAN 特設ページ