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英国民と女王のトラウマ(下)何が違う?日本の皇室と英の王室 その3

2/23(日) 22:56配信

Japan In-depth

【まとめ】

・英国王ジョージ6世による昭和天皇の助命嘆願。

・日本国憲法の天皇条項には退位の規定無し。

・時代と共に変わる王室/皇室の価値観。

前回、超ダイジェスト版ながら「王冠を捨てた恋」の顛末を語らせていただいた。

これが我が国の皇室にも大いなる影響及ぼした、と述べたが、具体的にどのようなことか、今回はまず、その話から。

1945(昭和20)年8月15日、大日本帝国は、連合国が無条件降伏を促したポツダム宣言を受諾し、アジア太平洋戦争における敗戦国となった。

これにともない、国家元首にして大元帥=陸海軍の最高司令官であった昭和天皇の処遇が問題となったが、当初、戦勝国の国内世論は、処刑を求める声が優勢であった。

しかし、時の英国王ジョージ6世は、オランダやノルウェーなどの王室とともに、GHQ(ジェネラル・ヘッドクォーター=占領軍総司令部)に対し、昭和天皇の助命嘆願を行ったのである。このジョージ6世は、不倫騒動、もとい「王冠を捨てた恋」によって退位しウィンザー公となったエドワード8世の弟で、現女王エリザベス2世の父である。

彼には、軽度ながら言語障害があったため、国王の任に堪え得るのか、と不安視する向きもあったようだが、ライオネル・ローグというオーストラリア人の元俳優からカウンセリングとトレーニングを受けた結果、ナチス・ドイツに対する宣戦布告のラジオ演説を見事にこなした。この話は『英国王のスピーチ』という映画によく描かれている。エドワード8世とシンプソン夫人も登場するが、とても好意的とは言えない描かれ方で、今もって英国人はあの2人を許していないのか、などと考えさせられた。

話を戻して、ジョージ6世は、ナチス・ドイツ軍によるロンドン空襲が激化した歳、カナダへの疎開を進言した側近を、

「国王が逃げ出せると思うか」

と一喝するなど、戦時の国王としての役割を立派に果たした。そして戦後処理においても、勝者は敗者に寛大であるべきだ、という「戦場にもスポーツマンシップあり」の精神を具現して、前述のように昭和天皇の処刑を思いとどまるよう、GHQに求めたのだ。

当時、戦勝国の中でも「ヒロヒト処刑」を求める世論がもっとも声高だった国が英国であった。香港、シンガポールという東洋の拠点を相次いで攻略され、その名も「プリンス・オブ・ウェールズ」と名付けられた新鋭戦艦を撃沈され、一連の戦闘の過程で捕虜となった英軍将兵の多くが、強制労働など旧日本軍によって虐待されたからで、それを思えば、ジョージ6世のこの判断は、なかなか重いと言える。

結局、様々な理由で処刑はもとより戦犯としての訴追も見送られたが、せめて退位させるべきではないか、との議論はその後もくすぶっていた。ところがGHQにとっては、これもこれで難題だったのである。

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最終更新:2/23(日) 22:56
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