グローバル化は人を自由にする?アイデンティティを脅かす? vol.3
折方 のぞみ(明治大学 経営学部 准教授)
イギリスのEU離脱決定、アメリカの保守主義や各国における右翼勢力の台頭などの最近の世界情勢に鑑み、巷では「グローバリズムの行き詰まり」が囁かれるようになりました。日本では今まで、Go Globalというスローガンに代表されるように、グローバル化について単純に良いこと、進むべき唯一の方向性であるかのように語られることが多かったように思います。ただ、どんな物事にも光と影があるように、グローバル化には良い面もあれば負の側面もあります。私たちは今、「グローバル化ってなんだろう」「グローバリズム(グローバル化を是とする考え方)って本当に有効なの?」と、改めて考えてみる時期に来ているのかもしれません。
◇多様なローカルがひしめく世界:複眼的なグローバル思考へ
18世紀のヨーロッパにおいて、コスモポリタニスム(世界市民主義)という考え方が流行したことがあります。
フランスの代表的な知識人であるヴォルテールなどが、「自国のことだけを考えるのではなくヨーロッパ市民としての自覚を持つことがこれからの指導者には必要である」と、啓蒙専制君主などに盛んに進言しました。
また知識人たちは、自分たちがヨーロッパ市民としてのアイデンティティを持つことが、当時恒常的に行われていた戦争を終結させ、世界平和(当時の「世界」はヨーロッパとほとんどイコール)を実現するためには必要不可欠だと考えていました。
他方、フランスの隣国であるジュネーヴ共和国の出身であったJ.-J.ルソーは、こうした考え方を絵空事だと批判します。
ヨーロッパ市民としてのアイデンティティなどほとんどの人にとっては机上の空論でしかなく、当時の知識人はエリート視点でしか物事を考えていない。民衆にはまず自分の属するコミュニティへの愛情を持たせるべきであり、隣人愛の具体的実践としての同胞愛こそが全ての基本となるものである。まずは祖国愛、そして国民としてのアイデンティティを持たせることが先決だ、というのがルソーの主張でした。
国民国家黎明期のフランスで、知識人でありながら平民の視点を持った「外国出身者」のルソーならではの主張といえます。
このように、ルソーはエリート中心の常識や良識とは別の視点、大多数を占める声なき民衆を含めた俯瞰的な視点から物事を見ていました。
ルソーは、当時ヨーロッパの政治文化の中心であったパリの知識人社会の内部にいながら、ジュネーヴという辺境の平民出身者としての視点を持って発言をした貴重な人物であり、いわば「内側にいながら外部の視点をもたらす」ことができた稀有な存在だったのです。
よく「日本は島国だから内向きの視点しか持てない」のだと言われます。けれど、例えばアメリカ人でも自国中心的なものの見方をしている人は多く、アメリカを模倣しているだけでは「グローバルな視点」を持つことは難しいでしょう。
ではどうすれば良いのか。例えば、参照軸としてヨーロッパの歴史文化に触れるだけでも開く扉はいくつもあります。ヨーロッパにはその多様性の中で、ローカルとナショナル、インターナショナルとグローバルの融和点を模索してきた歴史があるからです。多様な視点から物事を見る訓練は複眼的な思考を可能にします。
他者の視点を想像し、そこに自ら進んで身を置くこと。また、内側にいながら自国を客観視できる「外からの視点」を持つこと。
そのためには、例えば外国語で書かれた書籍やメディアにふれ、日本が諸外国からどのように見られ、語られているかを確認したり、アクチュアルな問題についての各国の視点を比較検討するなど、できることは沢山あります。
私たちは、多様なローカルを内包したインターナショナルな世界に生きています。それを前提とした上で、改めてグローバル化について複眼的に思考することが、今求められているのではないでしょうか。
※取材日:2018年11月
折方 のぞみ(明治大学 経営学部 准教授)
最終更新:3/11(水) 17:09
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