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野村克也さん逝去でも「南海ホークス記念館」に献花台ナシ 最後まで残った確執

2/29(土) 5:57配信

デイリー新潮

“女性関係”で南海と決別

 2月11日、プロ野球に大きな足跡を残した野村克也氏(1935~2020)が死去した。そのため3年前に先立った妻の沙知代さん(1932~2017)との夫婦関係に、再び高い関心が集まっているようだ。

【野村克也さん】選手の心に突き刺さった「殺し文句」 とは?

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 翌12日の朝日新聞を見てみよう。最初は天声人語だ。この日のタイトルは「ノムさん逝く」。野村夫妻に触れた部分を引用させていただく。

《後半生を支えたのは、サッチーこと妻の沙知代さん。ときに波乱はあったが、互いの信頼は生涯揺るがなかった。「夫婦円満の秘訣(ひけつ)は一緒にいないこと」「妻が強い家庭はうまく行く」。味わい深い夫婦論が残された》

 加えて第1社会面には「ノムさん、理論も情も ぼやき、励まし、輝いた『月見草』 野村克也さん死去」と題する評伝を掲載した。記者の署名入り原稿だ。

《17年末、沙知代夫人を亡くした際の表情は、やつれきっていた。夫妻ともに死因は虚血性心不全。「野村克也引く野球がゼロなら、野村克也引く沙知代もまたゼロ」と語るほど愛していた伴侶の後を追うように、旅立った》(註:引用時にデイリー新潮の表記法に合わせた、以下同)

 野村夫妻を考える際、絶対に欠かせない施設が、大阪市浪速区の「なんばパークス」にある。

 この「なんばパークス」は、プロ野球チームの南海(現:福岡ソフトバンクホークス)の本拠地だった大阪球場跡地に建設された複合施設だ。9階に「南海ホークスメモリアルギャラリー」が開設されている。

 南海は1938年に誕生し、88年にダイエーへ球団を売却して歴史の幕を下ろした。それから30年を超える歳月が流れた。

 南海を知らないプロ野球ファンは増える一方だろう。しかし、選手としての野村克也氏と言えば、やはり“南海の野村”なのだ。

 野村克也氏は54年、契約金0円のテスト生として南海に入団した。1年目は9試合で11打数無安打に終わり、戦力外通告を受けた。だが「クビになるなら南海電鉄に飛び込んで自殺します」と必死に訴えて残留を勝ち取った。

 2年目から科学的なトレーニングに注目、「頭で考えながらの猛練習」を科すと2軍で
頭角を現した。3年目の56年に正捕手として一軍に定着。翌57年に本塁打王のタイトルを獲得し、65年には戦後初の三冠王に輝いた。

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最終更新:2/29(土) 7:15
デイリー新潮

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