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【追悼コラム】アンナ・カリーナ、自分の人生を生きる Anna Karina,Vivre sa vie

3/13(金) 11:30配信

キネマ旬報WEB

2019年のフランスは、アンナ・カリーナの死と共に暮れた。折からのストライキの影響でパリはいつになく静かだったが、それはまるでパリの街自体が、ひっそりと喪に服しているようにも感じられた。急逝の翌日、文化大臣フランク・リステールは次のようなコメントを発表している。

「アンナ・カリーナの視線は永遠に、ヌーヴェル・ヴァーグを象徴するものです。特にゴダール、そしてリヴェットからヴィスコンティの世界まで、彼女の視線は広がっていきました。いまもなお世界中が、それに魅了されています。彼女を失ったフランス映画はまるで孤児のようです。一つの伝説を失ってしまったのです」

年が明けて2020年1月8日、シネマテーク・パリで始まったジャン=リュック・ゴダールの回顧展には、実はカリーナも招かれていた。それほど彼女の死は誰も予想していない、突然のものだったのだ。回顧展開幕を告げる「女と男のいる舗道」(4Kデジタル・リマスター版)の上映前に急遽、カリーナを偲ぶ会が行われた。壇上には、彼女の最後の夫であり40年近い歳月を共にした映画監督のデニス・ベリーの姿があった。

「今日この場所に来ることを、アンナは楽しみにしていました。なぜならシネマテークは彼女にとって、大学のような場所だったから。ゴダール、リヴェット、ジャン・ドゥーシェ、トリュフォーらヌーヴェル・ヴァーグの作家たちと一緒に映画を見て、彼らの話に耳を傾ける。そのようにして彼女は、教養を高めていきました。そしてゴダールと磁石のように引かれ合い、映画史に二人の軌跡を刻み付けたのです」

アンナ・カリーナと言えば、まず誰もがゴダールの映画の彼女について語る。カリーナがゴダールについて語った言葉はいくつも残されているけれど、ゴダールがカリーナについて語った言葉は思いのほか少ない。

1987年、とあるTVのトーク番組で、彼女がゴダールと久しぶりに再会したときのことを思い出す。66年に袂を分かってから20年もの間、手紙すら交わさなかった二人だが、その再会はカリーナにとって予期せぬものだった。番組にゲストとして呼ばれた彼女には、そこにゴダールも招かれていることを事前に知らされていなかったのだ! 動揺を隠せないアンナを横目に、司会者はゴダールに質問を投げかける。アンナ・カリーナとは、どんな女優だったのか?

「彼女は賞賛に値する『サイレント映画の女優』だ。セリフがなくてもその表情や身のこなしひとつで、全てが伝わる。音楽的なセンスにすぐれたミュージカル女優でもある。ただ、彼女にとっての苦難は、(女優として登場した時に)すでに映画が本来あるべき姿を失っていたことだ。アンナはハリウッドに行くべきだった。でもその時すでにハリウッドさえもが、そのあるべき姿を失っていた」

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最終更新:3/13(金) 11:30
キネマ旬報WEB

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