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「疫病の流行は政治が悪いから」感染症に苦しめられた日本人の古代史

3/17(火) 11:51配信

PHP Online 衆知

天然痘が引き起こした内乱

6世紀後半、聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇の時代に、大陸から百済をへて日本に仏教が伝来しました。それからまもなく、瘡(かさ)、現代でいう天然痘の記述が『日本書紀』に登場します。

僧をはじめとする仏教関係者が多数来日するなかで、天然痘ウイルスが持ち込まれたと考えられます。

天然痘は急激な発熱や頭痛、関節痛で始まる感染症で、数日たつと発疹があらわれます。発疹は水ぶくれになって膿がたまり、やがて、かさぶたに変わることから「かさ」と呼ばれたのでしょう。死亡率が20~50パーセントにのぼる危険な病気で、回復しても発疹のあとが「あばた」として残りました。

『日本書紀』によると、瘡にかかった人が国中にあふれ、「身を焼かれ、打ち砕かれるようだ」と言い、泣きながら死んでいったというのですから、まさにこの世の地獄です。

人々は、天皇が仏教を嫌い、仏像を焼かせたことで仏罰がくだったのではないかと噂しました。その当時、海外から伝わった仏教を重んじる蘇我氏と、従来の神道を尊ぶ物部氏のあいだで緊張が高まっていたのです。

このときの流行が引き金となって、587年には、ついに丁未(ていび)の乱という内乱が勃発します。

この戦いに勝利した蘇我氏は権勢を強め、血縁関係にある推古天皇を擁立して、同じく蘇我氏の血が流れる聖徳太子を摂政にすえ、みずからがこれを補佐する政治体制を作りました。

こうして仏教が急速に浸透するかに見えましたが、熱心に信仰したのは蘇我氏をはじめとする豪族にとどまり、庶民は昔ながらの自然崇拝や祖先崇拝を基礎とする神道に近い考えかたを行動の指針にしていたようです。

天然痘は近代まで繰り返し流行し、人類が天然痘の撲滅に成功するのは21世紀も近づく1980年のことです。

奥田昌子(医師、著述家)

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最終更新:3/17(火) 11:51
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