ここから本文です

男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

3/22(日) 8:01配信

現代ビジネス

女性誌に溢れる「愛され」のテクニック

 「ありのままの自分」を受けとめ、愛してほしい。深く理解し、よりそい、支えてほしい。そうしてくれる誰かと出会い、結ばれたい。多くの人が、このような願望を、心のどこかにもっているのではないだろうか。「ありのままの自分」が愛されるという幻想には、私たちを強くひきつける魅力がある。

【写真】 13歳女優の官能シーンに批判殺到、上映中止に…

 成績は良い方がよい、稼ぎは多い方がよい、コミュ力は高い方がよい、見た目はイケてる方がよいと、なにごとも優劣、勝敗で測る価値観が跋扈する世の中である。そのなかにあって、「ありのままの自分」が愛されるという幻想は、私たちに夢を見せてくれるのである。「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」なのだ、と。

 だが、現実においては、そう簡単にありのままを受け止めてくれる聖人のような恋人は現れない。実際には、誰かに選ばれるための努力が必要なのである。そう、愛されるための努力が。

 この現実は、腹立たしいものだろうか。もしあなたがそう感じるとしたら、もしかしたら「男性的」価値観を内面化しているといえるかもしれない。なぜなら、異性愛を念頭においたとき、男性は、女性に比して、愛されるための努力をしたがらないという傾向が、指摘されているからである。

 もちろん男女ともに、個人差も世代差も大きい。しかし、たとえば女性向け雑誌と男性向け雑誌を比べてみるならば、女性誌における愛されテクの豊富さは、一目瞭然である。愛されファッション・愛されメイクにはじまり、愛されるための会話の運び方、ベッドでのふるまい方、愛されるための料理のレシピ、などなど。

 こうした女性に求められがちなテクニックについて、なにか小賢しい偽りで、「真心」が伴っていないという悪印象を抱く人もいるかもしれない。実際、男性に好かれようとするテクが丸見えの「ぶりっこ」は、侮蔑の対象とされる。「ありのまま」の私とあなたという幻想に逆行するテクニックは、不誠実なものとして否定されることが多いのである。

 しかし、本当にそうだろうか。愛されるためのテクニックとは、基本的に相手の求めていることに配慮することを教えるものである。好感のもたれる装いをし、相手の気分に注意を払い、聞き役にまわり、相槌をうち、相手を居心地よくさせること。これが求められていることの基本である。「素の自分」などというと聞こえはよいが、むっつり黙り込むことが、相手を居心地よくさせるわけはない。

 と、このように女性の側の「愛され力」を肯定したり、それを身につける苦労について語ったりすると、男性は「愛され力」のかわりに、経済力を求められて大変なのだという話が必ず出てくる。収入の少ない男性がいかに結婚できていないか、いかに男性は収入が少ないというだけで、女性から不当に排除されているかという訴えがあとに続く。

 そして、話は、収入ではなく、「ありのままの自分」を愛してほしいというという方向へと収束していく。議論は一周まわって、気づけば冒頭へともどっているのである。

 さて、本稿の目的は、収入の少ない男性が結婚できないのは、女性が高収入の男性ばかりをねらうからなのか、男性が「愛され力」によって自らを売り込むことをしないからなのかという議論に決着をつけることではない。

 かわりに本稿では、時計の針を140年ほどもどし、まさに愛すること/愛されることをめぐるジェンダー構造がつくられていった現場に立ち返りたい。そもそも「ありのままの自分愛され願望」はどのように生み出されたのか、そして、その願望をめぐる男女差はいかにしてつくられたのか。まずは歴史的視野の下で現状を理解してみようということである。

 (以下では、拙著『男たち/女たちの恋愛――近代日本の「自己」とジェンダー』の内容をごく一部紹介する。ご関心をもたれた方は、ぜひ本書を手にとっていただければうれしい。)

1/4ページ

最終更新:3/22(日) 8:01
現代ビジネス

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事