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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.14「対応に苦慮したグールベルグ事件」

3/25(水) 17:59配信

WEBヤングマシン

開幕戦7位も、次戦でライダートラブル勃発!?

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年、ブリヂストンはロードレース世界選手権最高峰クラスに参戦開始。しかしそのシーズン序盤、待ち構えていたのは数々の試練と“事件”だったのです。

TEXT:Toru TAMIYA

開幕戦鈴鹿の日本GPでは地の利の生かし、青木宣篤選手が決勝7位

ブリヂストンがロードレース世界選手権最高峰クラス(2002年からMotoGPクラス)に初参戦した2002年は、カネモトレーシングのユルゲン・ファンデン・グールベルグ選手と、プロトン・チームKRの青木宣篤選手およびジェレミー・マクウィリアムス選手にタイヤを供給することになりました。鈴鹿サーキットで実施された開幕戦の日本GPは雨の決勝レースとなり、青木選手が7位でゴール。ただし、グールベルグ選手とマクウィリアムス選手はリタイアに終わりました。

2001年の実走開発テストでは、ウェットコンディションを想定したテストもやっていました。翌年の参戦開始が決定した後、9月下旬に実施したスペイン・バレンシアサーキットでの専有テストで、タンクローリーを使ってコースに水を撒き、レインタイヤをテストしています。もちろん1月の段階から、各テスト会場にはレインタイヤも持ち込んでいますが、このバレンシアテスト以前に雨が降ってタイヤの評価ができたという記憶はあまりないので、これが最初の実走テストだったのだと思います。

青木選手は7位となりましたが、当時のMotoGPクラスで本当に速いのは、ホンダとヤマハとスズキのファクトリーチーム勢が6台と、これにプラスして数台のサテライトチームだけという印象。新規参入でトップ10に入賞するというのは、それほどスゴいことではなかったはずです。それに加えて、日本のサーキットという特殊な環境が、我々にとっても青木選手にとってもプラスに働いたと思います。決勝レースはタイヤに対する評価が十分にできるようなコンディションではなかったし、ドライコンディションだった予選の段階で各ライダーからタイヤに対する要望がいろいろ出されていた状況だったので、やはり簡単に上手くいくような世界ではないという感想のほうが強く残りました。

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最終更新:3/25(水) 17:59
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