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現役バリバリ度MAXで来日。 レオナルドの活躍とNo.1ゴールは色あせない

3/25(水) 6:10配信

webスポルティーバ

最も印象に残っているJリーグ助っ人外国人選手(2)レオナルド(鹿島アントラーズ/MF)

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 産声を上げてから2年目にあたる1994年のJリーグには、今では考えられないほど数多くの世界的スター選手がひしめいていた。

 93年からプレーしていたジーコ、ピエール・リトバルスキー、ガリー・リネカー、ラモン・ディアスに加え、この年にはサルバトーレ・スキラッチやギド・ブッフバルトといったワールドカップ(W杯)で活躍した名手が次々と来日。とりわけ24歳にして、94年アメリカW杯優勝を経験した男が鹿島アントラーズに入団するというニュースは、母国ブラジルでも衝撃的なニュースとして報じられた。

 本名レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ。日本ではレオ様として一世を風靡したレオナルドは、間違いなく歴代助っ人外国人選手のなかでは"現役バリバリ度マックス"のスーパースターだった。

 レオナルドの勇姿を初めて目撃したのは、1993年12月に旧国立競技場で行なわれたトヨタカップ(現クラブワールドカップ)。名将テレ・サンターナ率いるサンパウロがイタリアの名門ミランを破って大会2連覇を飾った試合だ。名手ライーの後を継ぎ、新たにサンパウロの背番号10番を背負って、中盤を支配していたのがレオナルドだった。

翌94年の春には、初めての海外取材となったブラジル出張で再会。モルンビー・スタジアムで行なわれたサントス戦のキックオフ直前に、ピッチ上で彼にショートインタビューをする機会に恵まれた。当時、すでにセレソン(ブラジル代表)の主力としてW杯出場が確実視されていたレオナルドには、そのルックスも含めてスター選手のオーラが満ち溢れていたことを、いまでもよく覚えている。

 その夏、レオナルドは94年アメリカW杯でセレソンの左サイドバックのスタメンとしてプレー。決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で退場処分を受けたために、残りの試合は出場停止となったが、ブラジルが24年ぶりの世界一に輝いたあとも、彼の評価が失墜するようなことはなかった。

 そんな右肩上がりだったワールドチャンピオンの一員が、まだ始まって間もない極東の小さなプロリーグでプレーすることになろうとは、一体誰が予想しただろうか。

「かつて僕がプロキャリアをスタートさせたフラメンゴで活躍していたのがジーコだった。自分が憧れていたスーパースターから誘われたのだから、迷いはなかった」

 のちにレオナルドは来日した理由についてそう話したが、彼を熱心に誘ったジーコは入れ替わるようにして、その年の7月23日に行なわれたオールスター戦でのプレーを最後に現役引退。後継者の加入が、その決断の背景にあったとしても不思議ではない。

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最終更新:3/25(水) 6:14
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