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感染症による都市閉鎖と分断を描いた漫画、朱戸アオ『リウーを待ちながら』を再読

3/26(木) 10:03配信

リアルサウンド

 既視感があった。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がパンデミック(世界的大流行)へと至り、世界中の国々で大勢の人が発病し、入院し、亡くなり、感染爆発を防ぐために移動が制限され、都市が封鎖され、そしていわれの無い差別が起こるといった現象。それらを3年ほど前に、講談社のコミック誌「イブニング」の上で既に視ていた。

 山Pこと山下智久の主演でテレビドラマ化された『インハンド』の作者、朱戸アオが、2017年1月から1年にわたって連載したコミック『リウーを待ちながら』(講談社刊、全3巻)で繰り広げられた光景が今、数百倍でも足りないとてつもないスケールで起こっている。

 富士山の麓にある横走市で男性が倒れているのが発見された。内科医の玉木涼穂が連絡を受けて駆けつけ、女性看護師とともに治療に当たった。男性は血を吐き、一時は生命も危ぶまれたが、体力があったためかどうにか回復する。

 何の病気だったのだろう。原因を探る暇もなく、涼穂は呼吸困難で運び込まれた老人がそのまま息を引き取る場面に居合わせ、週明けにはカゼを訴える大勢の外来者の診察に追われる。そうした中、前週まで元気そうに働いていた女性看護師が来なくなり、高校生の娘によってベッドで亡くなっている姿が発見される。

 何かが起こっている。涼穂の懸念は現実のものとなり、横走市で肺ペストが流行り始めていることが判明する。どうやら中央アジアで流行していたものを、派遣されていた自衛隊員が持ち帰り、駐屯地のある横走市に広めてしまったらしい。

 大失態。だが、自衛隊が原因を隠蔽するためにペストの可能性を黙ったままにして、事態を悪化させることはなかった。そこは民主主義の近代国家だ。そして病気自体も、現代ならではの優れた薬剤と医療体制で押さえ込むことが出来た。亡くなった看護士の母親から感染したらしい娘の鵜月も発病しながら回復した。

 今は、6世紀の東ローマ帝国でもなければ、2000万人から3500万人が亡くなった中世ヨーロッパでもない。ペストが黒死病として恐れられた時代ではない。第一世界大戦より多い2000万人以上が亡くなった、1918年から1920年にかけてのスペイン風邪も乗り越えた。医者はいるし薬もある。だから大丈夫と誰もが楽観した。ところが、事態は中世ヨーロッパにおけるペスト大流行の恐慌にも似た状況へと突き進んでいく。

 押さえ込みに成功したという安堵を得た先で、煉獄が口を開いて横走市を飲み込んだ。第2巻で明らかにされた新たな事態。抗生物質の大量投与によって押さえ込めたはずだった肺ペストが、逆に増殖して感染爆発の危機を呼び込んだ。横走市は閉鎖され、外部との行き来は禁じられた。閉鎖線のあちらとこちらで分断されてしまう家族や恋人たちも出た。

 パリで始まり、ロンドンにも広がり、東京でも導入される可能性があるロックダウン、すなわち都市の閉鎖がもたらす悲運や悲恋だが、病気はそうした情緒を踏みにじるように、横走市や日本社会を死の色で染めていく。途切れることなく病院に運び込まれる感染者に対し、決定的な治療薬がなく、ただ延命措置だけ施して経過を見ることしかできない。それで回復するはずもなく、次々に息を引き取っていく様に、涼穂たち医師や看護士たちが抱いた感情は想像にあまりある。

 憤りだろうか。悔しさだろうか。無力感だろうか。諦めの感情だろうか。今、新型コロナウイルス感染症に立ち向かっている医療関係者たちの心情が、そこから浮かび上がってくる。

 第2巻で病院に運び込まれた母親が、いっしょに運び込まれたはずの息子がいないことを訴えていたのを聞いて、涼穂は上司の止めるのも聞かず、別のテントに運び込まれていた息子を探し出して母親の傍らへと連れて行く。母親に会えて安らかな表情に戻った子供を愛おしく抱く母親の絵が、上半分に描かれたページの下半分には、空っぽになったベッドが描かれる。その対比がとてつもなく悲しい。どうしようもなく悔しい。

 それは、マンガに描かれたフィクションに過ぎない。けれども、現実の社会で同じようなことが今、世界規模で起こり始めている。日本もいつ、そうなるか分からないし既にそうなっているかもしれない。だからこそ悲しまず、悔しがらないために何をすべきなのかを、こうした離別のエピソードから改めて、考えてみたくなる。

 すぐそこに迫っている事態に対して、何が起こるのかというビジョンを見せ、そこで抱くだろう覚悟のようなものを与えてくれる物語。それが『リウーを待ちながら』という作品だ。

 前例のない肺ペストの大流行と大勢の死が、徹底した押さえ込みによって世界的な感染爆発とはならず、やがて一段落して死んだ人と生き残った人に分かれた時、横走市がどのような姿を見せるようになるのか。そこはコミックには描かれない。ただ、横走市では、誰かを失った悲しみを受け止め切れなくても、これからをしっかりと生きていこうとする人たちの連帯が生まれていく。

 タイトルの元となったアルベルト・カミュによる小説『ペスト』にも、ペストで大勢が死んだアルジェリアのある街が、大流行を抜け出て平常を取り戻していく様が描かれている。いつか恐ろしい今日が来るとしても、やがて平穏な明日が来るのなら、その明日に気持ちを向けて生きていく。そうしたことが、カミュの『ペスト』や朱戸アオの『リウーを待ちながら』から感じ取れる。

 そして、新型コロナウイルス感染症のパンデミックという事態が起こっている現実の世界でも、自暴自棄にならず、慈しみの中で終息を迎え、再生へと向かうことを願いたくなる。

 もっとも、世間の横走市を見る目は厳しく、外では文字通りの“病原菌”として見做された横走市への無理解と嫌悪が広がっている様子も描かれている。これが新型コロナウイルス感染症でも現実に起こりかけている。中世ヨーロッパよりも、そして『ペスト』に描かれる194X年のアルジェリアよりも情報が発達し、流言が光の速さで伝わる現実の世界だけに、悪意はとてつもなく増幅され、世界中の人の心を染めて分断と対立を生み出そうとしている。

 これは既視感にしてはいけない。肺ペストにも負けず恐ろしい言葉の疫病を防ぐための方策が、病気の封じ込めとともに実行されなくてはならない。

タニグチリウイチ

最終更新:3/26(木) 10:03
リアルサウンド

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