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14年前に全国V。野洲高の10番は なぜプロ入りしなかったのか

3/26(木) 6:00配信

webスポルティーバ

2020年のセクシーフットボール 野洲高校メンバーは今平原 研(2)  (1)はこちら>>

【動画】乾貴士の今季ラ・リーガTOP3ドリブル

今から14年前。「セクシーフットボール」と呼ばれた、卓越したボールテクニックとコンビネーションによるサッカーで、並み居る強豪を倒して全国初制覇を成し遂げた、滋賀県の野洲高校を覚えているだろうか。ファンの熱狂を呼んだあのサッカーを当時のメンバーに聞く。

◆ ◆ ◆

 攻撃的かつ多彩なプレースタイルで、2005年度の全国高校サッカー選手権大会で日本一に輝いた、滋賀県立野洲高校。優勝メンバーのうち、青木孝太(元ジェフユナイテッド市原・千葉など)や楠神順平(元川崎フロンターレなど、現南葛SC)、乾貴士(現エイバル)など、6人がプロになった(ほかに、内野貴志/現MIOびわこ滋賀、田中雄大/現ブラウブリッツ秋田、荒堀謙次/元栃木SCなど)。

 そんなタレント集団で背番号10を背負い、チームメイトが「ケンがいちばんうまい。天才です」と口をそろえるのが、平原研だ。

 しかし、彼にプロからのオファーはなかった。

 もっとも彼自身は、高校2年生の時に「プロは無理やろうな」と思っていた。

「自分がいちばんうまいと思っていたのならば、プロを目指していたかもしれないです。でも、高校2年生の終わり頃には、無理やなと思ったんです。チームメイトは『ケンがいちばんうまかった』みたいに言ってくれるので、それはすごくうれしいんですけど、周りに(楠神)順平とかがいましたからね」

 サッカーの世界から離れ、現在は野洲高の同級生が立ち上げた、運送会社のナンバー2として奮闘する平原は、17歳の時の決断についてそう振り返った。

「プロではできないだろうと、薄々感じてしまって。プロになった順平や(青木)孝太とかと比べると、身体能力がなくて(当時は173cm,60kg)。プロって、そういうところが問われるじゃないですか。だから、自分は無理やろうなって」

 平原の才能の片鱗は、幼少期からあった。平原と小学1年生からの幼馴染で、野洲高でキャプテンを務めた金本竜市によると、「ケンは小1の時から、相手の逆をとっていた」という。

「ケンはボールの触り方や相手の逆をとることとか、年齢を経て修得することを、小学1年生の時にできてたんです。だから小1の時と、高3の時のプレースタイルは一切変わっていないんですよ」(金本)

 平原はドリブルが得意なことから「ドリケン」と言うあだ名で呼ばれていた。スピードがあるわけではないのに、歩くようにすいすいと相手をかわしていく。その姿を見た金本は「ひとりで全員抜くんちゃうか!?」と驚いたという。

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最終更新:4/2(木) 13:12
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