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業績悪化時、丸亀製麺が「最高額の肉盛りうどん」を出したワケ

3/28(土) 11:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

今や国民的チェーンの丸亀製麺だが、急成長の第一歩は、「焼き鳥屋」から始まっていた。社長の粟田貴也氏は、焼き鳥屋時代、店舗を「おしゃれ路線」から「ファミリー向け」にシフトチェンジすることで、商機をつかんだという。業績が上向いたとき、同氏は次の一手を考えた。小野正誉氏の書籍『丸亀製麺はなぜNo.1になれたのか?』(祥伝社)より一部を抜粋して解説します。※記載の数値や内容ついては、発売当初のものです。

焼き鳥屋が「丸亀製麺」と変貌を遂げたキッカケ

焼き鳥屋をファミリー向けにシフトチェンジしたころ、粟田社長は次の一手を考えていました。このとき目をつけたのが讃岐うどん。焼き鳥とはまったく別ジャンルです。

粟田社長の父親が香川県の出身で、子供のころに実家に遊びに行って食べた製麺所の味が忘れられず、「この味や風情感を表現できたら」と考えていました。

香川県を訪れたことがある方はご存知だと思いますが、うどんを食べられる製麺所は客席がなかったり、あっても数がわずかの小さい店だったりします。家族で経営しているようなアットホームな雰囲気で、お客様が自分でネギを庭から取ってきたりしています。値段は一杯100~200円と格安。お客様が自分で天ぷらをお皿に取り、出汁をかけるセルフ式です。

気取らずに、気軽に立ち寄って食べられる店の雰囲気にも和(なご)みますが、何より打ちたて、茹でたての麺のおいしさは一度味わったら病み付きになります。その讃岐うどんの製麺所の感動を再現しようと、粟田社長は思い立ったのです。

そこで、2000年11月に丸亀製麺加古川店を開店しました。とはいえ、実験的に立ち上げたので、経営の中心は焼き鳥店でした。

さらなる事業拡大のために資金調達をしようという話に発展していました。ところが、マザーズ市場への株式上場に向けて準備をしていた2004年。鳥インフルエンザが日本に上陸しました。

鳥インフルエンザが見つかった農家では大量の鶏を処分しているニュースがテレビで流され、「鶏は安全ではない」と思われるようになったのです。当然、トリドールも大打撃を受け、株式上場をいったん白紙に戻すしかなくなりました。

そんな大ピンチを救ったのが、丸亀製麺でした。

トリドールとしては丸亀製麺に軸足を移し、出店ペースを早めていったのです。そこからの快進撃は、すさまじいものがありました。もちろん、すべてが順調にいったわけではありません。さまざまな問題や困難を乗り越え、丸亀製麺独自のノウハウをつくりあげていきました。しかし、それらが成功したのは、あくまでも勝ち負けや効率よりも大切なものがあるという経営理念があったからです。

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最終更新:3/28(土) 11:00
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