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山田たかおの極貧幼少期 座布団運んでマンションオーナーに

3/29(日) 11:35配信

女性自身

「キャー、こっち向いて~」

ライブが始まるやいなや、そんな黄色い声援が何度も何度も飛んでいた。令和2年のこの日会場はレトロな熱気に包まれていた。それもそのはず、ステージの上でスポットライトを浴びていたのは、昭和40年代末から50年代初頭にかけて一世を風靡した人気アイドルグループ「ずうとるび」。今日はおよそ38年ぶりにオリジナルメンバーが再結集した、復活ライブの初日だった。歌い終えて一息つくと、満面の笑みを浮かべたリーダー・山田たかお(63)が客席に向かってマイクでこう呼びかけた。

「ひさしぶりだね~。みんな、応援ありがと~!」

山田くんといえば、ずうとるびの元メンバーというだけでない。『笑点』に“座布団運びの山田くん”として長年出演し、お茶の間の人気者に。そんな彼には、笑いあり苦労ありの幼少期があったという。

1956年、東京の下町・深川に、6人きょうだいの末っ子として生まれた。家は木工所を営んでいた。職人を何十人も抱え、家にはお手伝いさんが3人も。山田くんもそんな裕福な家に生を受けたはずだった。

「僕が生まれる直前に親が詐欺に遭っちゃって。いま、地下鉄の半蔵門線の住吉駅、あるでしょ。あそこがまさに僕のうちだったそうです。もし、いまあったら、すごい財産ですよ。それに、埼玉の三郷には500坪の資材置き場も。それ、ぜ~んぶ取られちゃった」

山田くんには赤ちゃん時代の写真が1枚もない。生まれてきた愛息の記念撮影もできないほど、家はもう貧しかった。

「父は生真面目、母は優しかった。でも、口を開けば『たかお、申し訳ないね、ごめんね』とばかり言ってました。食べるものにも困るような生活で、家族はいつも心配事を抱えて、心の底から笑うことができない、そんな家庭でした」

山田くんはそんな家族を「思いっきり笑わせてあげたい」と、いつも思っていた。チャンスが巡ってきたのは小学4年生のとき。当時、子供たちに大人気だったテレビ番組『日清ちびっこのどじまん』の公開収録が行われたのだ。同級生たち皆と観覧に訪れると、出演予定の小学生が1人、風邪でドタキャンしていた。

「すごい人気番組で、厳しいオーディションがあって、本来なら後々歌手になるような、歌のうまい子しか出られない。だけど、代役がいなかったんでしょう。司会の大村崑さんが客席に向かって『誰か、歌いたい人?』って、その場で募りはじめたんですよね」

観覧席の小学生全員が「ハイ、ハイ!」と手を挙げる。でも、山田くんは挙手もそこそこに勝手に舞台によじ登り、大声でこう告げた。

「僕が歌います!」

物怖じしない性格を買われ、そのまま飛び入り出演。番組テーマ曲『ちびっこマーチ』を歌って、なんとその週のチャンピオンに。

「優勝商品はインスタントラーメン半年分。家に持ち帰ったら、父も母も、それに姉や兄たちもみんな大喜び。それまで見たこともないような笑顔で。それを見てたら、僕も本当にうれしくって」

ここから、山田くんの運命が動き出す。番組を偶然見ていた脚本家・花登筺に見いだされ、山田くんは大御所の推薦で「劇団ひまわり」に入団。生来の人懐っこい性格で、名演出家やプロデューサー、大物俳優たちにもかわいがられ、子役として引っ張りだこになっていった。

その後も多くの仕事相手や噺家の師匠たちに可愛がられ続けた理由はやはり、山田くんの笑顔と人柄によるだろう。そんな山田くん、じつは今、不動産業も営んでいる。2棟の賃貸マンション購入の原資になったのは、山田くんが最初のずうとるび時代、両親に渡していたお小遣いだという。

「毎月5万円ずつですけど、爪に火をともす思いで育ててくれた親に、感謝の気持ちで渡していました。でも、親は一切使わずに、僕のために貯金してくれていたんです」

優しい心の連鎖が、山田くんの笑顔を形作っている――。

「女性自身」2020年4月7日号 掲載

最終更新:3/30(月) 7:39
女性自身

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