「あきちゃん、選挙に出てくれるのだったら『私の秘密』は降りなければならないよ」
「相談にのってくれている高橋圭三さんに聞いたわ。公職選挙法とやらで出馬となったらもう出演はだめみたいね」
いとこで経済企画庁長官の藤山愛一郎からの参議院選出馬に関して、あきがどうしても譲れなかったのが、NHKテレビにレギュラー出演している『私の秘密』の降板だった。
番組出演はもはやあきの人生となっているし、視聴者にとってもあきの出演は生活の一部になっている。
最初の藤山からの出馬の打診に際しては軽く受け流していたものの、番組を降りなくてはならないとなると、もはや考える余地もない。
あきはきちんと断った。
「『秘密』を降りるなんて考えられないし、第一「おしゃれ」を売っている私のようなものが国会議員なんて変だわ。女性議員は社会党の加藤シヅエさんみたいな人がいいのよ。彼女とは女学校で同級でしたけれど、優秀だったわ。自民党なんて男の集まりよ」
かわすあきだったが、藤山も引かない。
「僕を総理大臣にさせてくれよ。そこまで何とか手を貸して欲しいんだ」
と繰り返し懇願されると、あきの気持ちは徐々に変化をみせはじめた。
「ニッポンの象徴、藤さん(富士山)藤山愛一郎がやって参りました!」
街宣車の音の悪いマイクがこう叫ぶと多くの人が家から出てきて、とてつもない金持ちで民間人から一足飛びに大臣になったという藤山愛一郎を一目見たいと人が集まった。
本人が登場すると、白銀のふんだんな髪をうしろになでつけた髪型が本当に富士山の様に見えた。また、外交で「フジサン」と言う呼び名は世界でも実に通りが良かったという。
ロイド眼鏡に笑うと口の両端にえくぼのような皺が刻まれるが、それが人のよさというのか、育ちの良さを感じさせる。
実業の世界で申し分なく名を成した藤山は、政治の世界に足を踏み入れる気など毛頭なく、政治家をサイドから支援するのが自分の役割だと暗躍してきたが、のちの総理大臣となる岸信介との付き合いからその運命は大きく変わっていった。
岸とは昭和の初めの頃、藤山が生命保険事業に進出した際に知り合った。
当時の藤山の記憶によると、岸は「統制経済を推進しバリバリの革新官僚」だったが、戦後はA級戦犯として拘置された。公職追放処分中となる出所後すぐに藤山の関連会社「日東化学」監査役、「東洋パルプ」会長の座に就くことになる。
岸も出所翌日に仕事を与えてくれた藤山には恩義があり、それだけではなく特使として派遣した「日比賠償交渉」での藤山の手腕を買っていたこともあり、岸は自身が総理総裁になった際は、自分も経験した外務大臣に民間人として藤山を起用し、日本とアメリカの安全保障の改定について自分の意に任せたかった。
昭和31(1956)年、自民党初代総裁の鳩山一郎が日ソ国交回復を実現し、内閣総辞職をした。そうすると党内は後継者問題で揺れ、岸信介、石橋湛山、石井光次郎が名乗りを上げた。
その少し前に藤山は岸から「飯を食おう」と岸の行きつけの赤坂の料亭「長谷川」に呼ばれた。
「俺は間違いなく石橋君に勝つ。ついては党内を見渡しても格好の外務大臣がいない。ぜひ承諾してくれないか?」
そんな気はさらさらない藤山は、
「それはダメです。柄ではない」
と断った。
総裁選では岸と石橋の決選投票となり、石井と組んだ石橋が7票差で岸を破る逆転劇となった。岸内閣はじめ藤山の外務大臣の話は立ち消えとなった。
ところが総理就任後のわずか1カ月後に石橋は脳梗塞に倒れ、引退を表明した。おりしも予算委員会の審議中で、すぐにでも後継者の選出をする必要に迫られ、7票差の岸外務大臣が後継になるのは自然の成り行きだった。
総理大臣となった岸が石橋内閣の閣僚をそのまま引き継いだことから「居抜き内閣」などと呼ばれたが、のちに岸が組閣した「第1次岸改造内閣」で、藤山は民間人として外務大臣を担うことになった。
ずっと断ってきた大臣ポストであるが、藤山が気持ちを動かされたのは、明日までに閣僚名簿を作らなくてはいけないという岸から、ベテラン議員の井野碩哉が「総理大臣後継者の約束」を聞いてきたことからだった。
「自分のあとに総理大臣がいない。藤山を総理にするのだから……」
と漏らしたという岸の言葉に、
「やはり、受けざるを得ないな」
と言った藤山は、総理総裁という言葉に心が何も動かなかったと言ったら嘘になる。
昭和32(1957)年7月10日、芝白金台の外相公邸に設けられた組閣本部に藤山は岸から呼ばれた。
「井野君から聞いているだろう。ぜひやってくれ」
と岸は藤山の顔を真剣なまなざしで見つめながら言った。
「わかりました。受けましょう」
藤山の野心が頭をもたげた始まりだった。
その日の記者会見で、
「自民党には入党する。必要とあれば選挙にも出る。経済外交については経済問題の知識も経験も相当あると思っているから、これまでの考え方を実行に移すつもりだ」
という抱負を語った。大臣就任で「これから勉強します」などと言う人と違い、すでに経済外交を実地でおこなっている藤山に国民から賞賛も送られ、内閣の目玉となった。
経済人の頃からのモットーは、
「どんな有能な人が社長になっても、その会社と討死する最後の決心がなければだめである。社長になった以上は、自分の全財産をそれにぶち込まなければいけない。なにか失敗したり、不始末をした場合、辞表を出せばそれですむというのでは、彼は実業人でなく役人である。サラリーマン社長がだめだというのは、会社の危急存亡のときには、決まって身軽に転身してしまうからである。役人も自分の金だというと一銭でもおろそかにしないが、官費なら使い放題だというものだ。サラリーマン社長も同じで豪華な宴会を開く傾きがある」
この考えの通りに藤山は政治に私財の多くを使っていくことになる。
藤山は大臣就任の翌年、自社の工場のある神奈川1区で出馬し、大臣経験者ながら初当選を果たした。
「政治家を志した以上、外務大臣を辞めてまた財界に戻るような腰掛のつもりではない」
と全エネルギーをかけた抱負を述べた。
昭和35(1960)年7月1日。
岸から、
「今日、アジア太平洋地域公館長会議の開かれる前の時間に話があるので来てほしい」
という電話をもらい、藤山は官邸に出かけた。
「私の後継者についてだが……。どうもごたごたして、誰も決まらん。こうなったのも安保をやった結果だと考えれば、後始末のこともある。ひとつ、君が立候補したらどうだ」
初入閣で政治家となってから3年、岸とともに「日米安全保障改定」についての尽力をしてきたが、ついにこの時が来た。
藤山は官邸から歩いて「ホテルニュージャパン」9階の藤山事務所に戻った。のちに藤山派となる議員たちが事務所に来ている。
「岸さんがそういうなら、出たらいいじゃないですか!」
「それではやってみるか」
後日、藤山は岸の南平台の私邸を訪ねた。
「あなたのいわれた話を受けます。いよいよやる決心をしたから準備をします。手の回る範囲で岸派をつけてもらいたいし、つながりのある人にも呼びかけてほしいのです」
何とも答えない岸に対して藤山は、
「その活動のためにも」
と言って藤山は持参した包みを差し出した。
「よろしい」
と言って包みに入った金を岸は受け取った。
その翌々日、藤山は岸に私邸に来てほしいと言われ南平台に向かった。
すると藪から棒に、
「君、立候補をやめてくれ。万一にも石井が政権をとったら、河野が裏についている限り、容共政権になってとんでもないことになる。君もやめて池田を助けてくれないか」
「いや、それは困ります。立候補を宣言し、政策も明らかにした。それを簡単に取り消すなんてできない。いまさら……」
思えばずっと考えをともにしてきた岸とも、安保条約改定の成立に向けて少しずつではあるが不協和音が生じていた。
決定打は、安保条約の調印式の後、藤山が官邸に戻り閣議で調印の報告のあと岸の退陣表明が発表されるシナリオだったのが、藤山が戻った時には閣議もすべて終わっていたことだった。
結局、藤山の「とことんまでやる」という魂に火が付いた。
岸の後継総理候補は、岸の推挙によって進められることが望ましいという考え方で一致していたが、岸は考えをずっと出すことはなく、党人派と呼ばれる大野伴睦にも出馬を要請し、また降りろとも話していた。そして最後の最後になって池田勇人を推薦するということにあいなった。
昭和35(1960)年7月14日の自民党総裁選では、池田勇人246票、石井光次郎196票、藤山愛一郎は49票だった。
第1位の池田が過半数に達せず決選投票となり、藤山は岸との約束通り池田支持に回り、池田302票、石井194票で、池田勇人第4代自民党総裁が誕生した。
決戦が行われた日比谷公会堂から、藤山はホテルニュージャパンの事務所へと戻った。今日、自分の名前を書いてくれた議員たちを前に、
「これで一人前になった。これが将来への第一歩だ」
とあいさつした。
「これからは藤山派でやっていこう」
という声が上がり、ここから「藤山派」が誕生した。
さんざ岸に口説かれて政治の道に入った藤山にとっては、親せきのあきを口説くことはそう難しいことではないように実は感じている。
藤山は岸が「この国のためだ」と言って、何人かに「自分の後継者になってくれ」と声をかけ、裏工作をしてきたことが許せなかったし、こんな汚い政治ではよくないと心から思う。
「裏切られた総裁選」についてもあきに話をした。そうすると今度はあきのなかに眠っていた母性愛を含んだ闘争心みたいなものが現れてきた。
「政治って嫌な世界ね。百戦錬磨の男同士のねたみ、ひがみ、やっかみだわ。みんな愛さんに嫉妬してるのよ」
「だからこそ、あきちゃんみたいな政治の駆け引きとは無縁の人がいいと思う」
「女なんかがあの伏魔殿にとても入れないわ」
「これからは、政治だって婦人の時代だよ。僕は外務大臣時代に国連総会の政府代表団に初めて婦人を加えたんだ。これは自慢できる話だよ」
政治の世界というものはなんて汚いものなのであろう。「絹のハンカチ」といわれる愛さんが見事に妖怪たちに騙された。自分が味方の1人として伏魔殿の永田町に入れば、少しでも愛さんの役に立つのではないか。
もちろん、親せき縁者から総理大臣がでることになれば、こんな誉なことはないとあきは思う。
「愛さん……、私やってみようかしら。愛さんを総理にするために私の残りの人生を賭けるわ」
「ありがとう、あきちゃん。永田町に身内がいるっていうのは心強いよ」
「そのためには選挙に出て勝たなくてはいけないのね」
「テレビ出演も残念だが、辞めるようだね」
「一番辛いことだけど、仕方ないわ。私思ったのよ、テレビって公共の電波よね。テレビが始まって7年間も週に1回ずつ出てきたけれど、同じ人がずっと出続けるってことはありえないことなのよ。国民の電波なんだから」
「顔と名前を売ったんだ。それを政治に活かさない手はないよ」
「思い返せばテレビの仕事は楽しかったわね。まさかあんな人生が藤原に捨てられた時のボロ雑巾のようだった自分には考えられなかったわ」
「あきちゃんは他の候補者に比べれば、顔と名前が知れているから下駄を履いたところからスタートだけど、それでも一生懸命やってくれないとだめだよ。全国を回るわけだから、体だけは気をつけてね」
「落選させちゃいやよ。いくら名が知れていたって、作家の菊池寛だって落選したのよ。そうなったら私、また中上川家に泥を塗ることになるのね」
「そうならないように、こっちも頑張るから」
藤山にとっては、あきが全国区の選挙に出馬すれば、大量の票が取れると目論む。その衝撃は藤山にとって優位に働くはずだ。
参議院選挙への出馬を決心したあきは、なかば破れかぶれといったところだった。
そこにいま、あきに対する強力なライバル候補者が出現しようとしていた。
その人の名は、「藤原義江」だった。
佐野美和
最終更新:4/3(金) 18:06
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