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映画『グリーン・ライ~エコの嘘~』:持続可能性がセクシーだって? だまされやすい消費者にならないために

3/31(火) 16:32配信

nippon.com

松本 卓也(ニッポンドットコム)

米タイム誌が2019年の「今年の顔」に選んだのは、16歳(当時)の環境活動家、グレタ・トゥーンベリ。気候変動に対する取り組みを先送りし続ける大人たちに、いい加減にお金のことばかり考えるのはやめろと迫った。彼女の問題提起とリンクするのがオーストリア発の本作だ。「環境への配慮」をアピールする企業が、どんな「嘘」をついているかに切り込んでいく。

2009年に世界80カ国以上で上映された『プラスチック・プラネット』で、地球に氾濫するプラスチックの問題を先んじて世に広く提起したオーストリアのドキュメンタリー映像作家、ヴェルナー・ブーテ。

そのスタイルは、予期せぬ出来事を捉える観察型ではなく、書かれたシナリオに沿って取材対象に迫るルポルタージュ型と言える。一人称で語りながら、レポーターとしても登場し、素朴な視点でやんわりと問題に切り込んでいく。マイルドなオーストリア版マイケル・ムーアといったところか。4作目となる『グリーン・ライ~エコの嘘~』は、企業による環境破壊をどうやったら止められるかを探るのがテーマだ。

ヴェルナーはなかなかとぼけた味の人物だ。映画の冒頭、観客に対して自身のキャラクターを示しておくのだが、美しい母の腕に抱かれた幼年時代の写真とともに、子どもの頃からもめごとは苦手、性格が優しく、誠実さと礼儀正しさが大切だと教えられたと説明する。あくまで善良で無知な一消費者という立ち位置だ。

問題に鋭く切り込むのは別の人に任せようと考えたヴェルナー。ナビゲーター役として過去にテレビ番組で共演したカトリン・ハートマンを起用する。持続可能性をテーマに執筆するジャーナリストで、主に「グリーンウォッシング」を取り上げてきた。グリーンウォッシングとは、企業が真相を偽って環境に配慮している姿勢を装うことを指す。

企業の社会的責任(CSR)という概念が定着した今、環境に優しい取り組みをせずに、株主や消費者からの支持を得ることは不可能だ。企業はその広報活動に余念がない。それは、利益の追求を宿命づけられた企業にとって、マーケティングの一手法でもある。市場には、持続可能性やフェアトレードをラベル表示した商品があふれている。しかしそこには、どこかに企業の嘘、偽善が隠されている。そう警鐘を鳴らすのが彼女の仕事だ。

「消費者である以前に市民」であろうとするカトリンと、できることなら賢い消費者でありたいけれど、そこまで深く考えないヴェルナー。いわば意識高い系女子とフツーのおじさんの「でこぼこコンビ」が、環境破壊の現場を巡る旅に出て、掛け合い漫才のような、どこか噛み合わない対話を繰り広げながら、問題の所在を明らかにしていく。

まずは、ヴェルナーが大好きな加工食品にほぼ必ずと言っていいほど使用されているパーム油の問題。食用だけでなく、シャンプーや洗剤などの日用品にも使われ、日本での消費量は年間60万トンを超えるという。日本の食品表示基準では、「植物油脂」と書かれるだけなので、その存在はあまり知られていないかもしれない。

パーム油の原料は、熱帯地域で栽培されるアブラヤシで、20メートル近い巨木に、約2000個もの実がぎっしり詰まった数十キロの大きな果房がなる。天候の影響を受けにくく、大豆や菜種のような単年性作物と違って、年間を通じ、20年以上にわたって収穫が可能という特徴を持つ。そう聞くと、これこそ「持続可能」な植物油では、と思ってしまうが、カトリンは「持続可能なパーム油なんてない」と断言する。その理由は、アブラヤシ農園を開くために、広大な熱帯雨林を焼き払うことになるからだ。

その実態を確かめるために、インドネシアを訪れる2人。プランテーションの造成から広がった「人為的な森林火災」は、大量の煙を放出して近隣住民に健康被害をもたらし、大気汚染はシンガポールにまで及んだ。これは昨年、国連でも取り上げられた問題だが、日本ではあまり関心が持たれなかった。黒焦げになったジャングル跡は見るも無残で、生命の大量虐殺以外の何物でもないことが画面から伝わってくる。さまざまな商品に付けられた「持続可能なパーム油」の認証ラベルが空々しく見える破壊力だ。

「持続可能」という言葉は、しばしば「開発」とセットで用いられてきたことを忘れてはならない。環境破壊が進行しているのは疑いない事実だが、人類が文明生活を送るためにある程度はやむを得ない部分もある。だから、得るものと失うものの適正なバランスを探って前進する必要がある。その現実的な取り組みが「持続可能な開発」と呼ばれてきた。映画の中でも、パーム油生産大手のCEOが、大事なのは人間、環境、経済のバランスなんだと説く。われわれは、貧しい人々に工場で働いて賃金を得る機会を提供し、豊かさを実現しながら、環境にも配慮しているのだと。開発者にとって「持続可能」は便利な言葉にもなり得るわけだ。

映画の序盤に、持続可能性で成果を上げる企業家を表彰するセレモニーの場面がある。会場で2人を社交的に迎え入れるアワードの創設者は、胸が大きく開いたドレスを着た派手な女性だ。ヴェルナーが服装を冷やかすと、返ってきたのは「持続可能性はセクシーなのよ」。どこかで聞いた言葉だ! 環境問題に取り組みながら、お金もちゃんと儲けてかっこよく振る舞いましょうよ、そんな風にも聞こえる。

原料や生産過程の「正しさ」をより厳格に追求すれば、それは価格に反映される。富裕層が「環境に良い」商品に高い金を払い、「意識が高い」自己を演出して優越感に浸る側面も否定できない。一方で庶民の側には、環境に配慮しながらもリーズナブル、という消去法の選択肢しかない。そしてそういう商品を市場に投入できるのは、大企業だけだ。

だからこそ、賢い消費者であるには、美辞麗句に嘘がないか読み解くリテラシーが求められるのだ。しかし強い信念を持つカトリンでさえ、どうしても必要な商品があれば、「グリーン・ライ」が透けて見えても、それには目をつぶり、表示ラベルを信じて買うと白状する。買うか買わないかはあくまで消費者の自己責任であるがゆえに、企業は半ば野放しと言えなくもない。

2人の旅はアメリカ、ドイツ、ブラジルへと続き、巨大企業がいかに住民と環境を犠牲にして利益追求に暴走してきたかが、いくつかの事例とともに描かれる。大企業には、大自然の中に巨大な設備を建造し、環境を破壊しながら膨大な利益を生む力、財力と影響力がある。個人がそれに抗議しようとすれば、小さな体を張るしかない。株主総会で声を上げても、屈強な警備員によって簡単につまみ出されてしまう。民衆の声を代弁するはずの政治家もまた、ビジネスの力には逆らえない…。問題解決の糸口が見いだせず、ヴェルナーは頭を抱えてしまうのだが、作家のノーム・チョムスキーや、ブラジル先住民の族長など、賢者たちの言葉を頼りに希望の道を探っていく。

新型コロナウイルスとの戦いが喫緊の課題となっている現在、環境問題が影を潜めてしまうのも無理はない。しかし全人類が力を合わせて問題に取り組むことの大切さを今こそ噛みしめ、経済優先、大企業主導の社会のあり方を考え直してみるときなのではないか。『グリーン・ライ~エコの嘘~』の中には、そのきっかけとなる提案をいくつか見つけることができそうだ。

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最終更新:3/31(火) 16:32
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