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「早さ」と「徹底」がやはり対策の鍵、新型コロナにスペインかぜの教訓を生かせるか

4/1(水) 17:38配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

対策のタイミングと内容と効果を詳しく検証

 急速に感染が拡大していた非常に危険なインフルエンザの症例が、米国のフィラデルフィア市で最初に確認されたのは1918年9月17日だった。

イラスト:死亡率はこんなに違う、比較したグラフをもっと見る

 翌日、市はウイルスのまん延を防ぐため、人前で「咳をする」「つばを吐く」「鼻をかむ」などの行為をやめるキャンペーンを立ち上げる。ところがその11日後、市は戦勝パレードを決行し、20万人が参加した。感染症の流行は目前と予想していたにもかかわらず、だ。

 その間に患者は増え続け、最初の症例からわずか2週間で、感染者は少なくとも2万人にのぼった。学校、教会、劇場、集会所などを閉鎖し、市がようやく「社会的距離戦略」を実施したのは10月3日のこと。しかし、その時点で市の医療はすでに崩壊していた。

 1918年に流行したこのインフルエンザ、いわゆる「スペインかぜ」の感染拡大は1920年まで続き、近代史上最悪のパンデミック(世界的流行)となった。現在、新型コロナウイルスへの対応として、世界中でさまざまな活動の停止を余儀なくされているが、このときに全米各地で講じられた感染拡大対策とその結果を検証することで、新型コロナウイルスに打ち勝つ教訓を得られるかもしれない。

市民を救ったセントルイス市の英断

 スペインかぜの症例が米国で最初に報告されたのは1918年3月、場所はカンザス州の陸軍基地だった。その後、インフルエンザは米国全土に拡大する。パンデミックが終息するまでに、世界で5千万人から1億人が死亡したが、米国でも50万人以上が犠牲となった。

 フィラデルフィアで感染者が確認されてからほどなく、ミズーリ州セントルイス市でも10月3日に最初の感染が見つかった。市の対応は素早かった。2日後にはほとんどの集会を禁じ、患者の自宅隔離を決断する。その結果、感染の速度は下がり、セントルイスでの死亡率(単位人口あたりの死者数)はフィラデルフィアの半分以下となった。

 パンデミックの最初の半年、すなわち感染が最も深刻だった時期のウイルスによる死亡者数が、フィラデルフィアでは人口10万人当たり748人と推定されるのに対し、セントルイスでは358人だった。

 この50年間で人々の生活は劇的に変化し、パンデミックの抑制はより難しくなっている。

 グローバル化、都市化、大都市の人口密集などが進んだために、ウイルスが数時間で全土に広がりうる一方で、実際のところ、その対抗手段は以前とほとんど変わっていない。ワクチンのない伝染病に対する防御の第一線は、現在でも公衆衛生的な介入であり、具体的には学校、商店、飲食店の閉鎖、移動制限、社会的距離の確保の義務化、集会の禁止などだ。

 もちろん、そのような命令に市民を無理に従わせるのは、また別の問題だ。1918年にはサンフランシスコの保健衛生官が、義務付けられていたマスクの着用を拒んだ市民3名を銃で撃った。アリゾナ州では、警察が感染予防用品を身に着けていない逮捕者に対して10ドルの罰金を課した。

 とはいえ、最も成果を上げたのはやはり思い切った、かつ徹底的な対策だった。集会を固く禁じ、厳しく取り締まったセントルイス、サンフランシスコ、ミルウォーキー、カンザスシティーでは、結果的に感染率が30から50パーセントも低下したのだ。また、最初に強制隔離と時差出勤を実施したニューヨーク市では、死亡率が東海岸で最も低かった。

 2007年、学術誌「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)に、市によって異なる対応が病気の蔓延にどのように影響したかを調べた2つの論文が発表された。致死率、時期、公衆衛生的介入について比較したところ、早い段階で予防措置を講じた市では、対策が遅れた、あるいはまったく講じられなかった市と比べて、死亡率が約50パーセントも低いことがわかった。最も効果的だった措置は、学校、教会、劇場を同時に閉鎖し、集会を禁止することだった。そうすることでワクチンを開発する時間を稼ぎ、医療機関にかかる負担は減った。

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