ここから本文です

《志村けん写真館》東村山の大親友が語るドリフのコントみたいな高校生活「ハンサムで学園のマドンナとも…」

4/1(水) 15:36配信

文春オンライン

「志村、若い頃は酒が飲めなかったんですよ。卒業後に2人で話し込んだとき、下積み時代に飲まなきゃやってられないようなことがあって、カウンターに座ってウイスキーをぐっと一杯やったら記憶が飛んで、気づいたら道路に横たわっていたんだと聞きました。仕事をしているうちに飲まなきゃいけなくなって、だんだんと飲むようになったんじゃないかな……」

【画像】マドンナともデートした美少年時代の志村

 新型コロナウイルスによる肺炎で逝去した志村けん(享年70)。酒豪のイメージがある志村だが、高校の同級生で、大親友だったという今野純二さん(70)は懐かしそうにそう語った。

「志村けんの木」の下で悼む人々

 志村けんのふるさとである東村山市の東村山駅前には、1977年に彼の功績をたたえて植えられた「志村けんの木」と親しまれる3本のケヤキがある。訃報が伝えられた3月30日からはかたわらに献花台が設けられ、多くの人々が花を手向けていた。

 日本中から、そして地元からも愛された志村。東村山で取材を進めていくうちにわかったのは、同級生からも愛されたその素顔だった。

バスの窓からコショウを振りまいた志村

「志村は、初対面の誰とでも打ち解けられる、人懐っこいやつでした。あの頃は高校の近くも畑ばかりで、駅前に商店街があるだけ。コンビニもありませんから、放課後の小金井街道を、志村と2人、よく地元のパン屋に寄って買い食いをして帰りました。当時の僕らにはカツサンドなんて上等なものは買えなくて、せいぜいあんパン。でも、そのときも志村は、店のおばちゃんとすぐ仲良くなってオマケをもらうこともありました」(今野さん)

 今野さんと志村は都立久留米高等学校の同級生。2人が入学した当時は新設校で、校舎の建設が間に合わず、最初の1年をプレハブで過ごしたという。

「クーラーなんてない時代ですよ。僕らのクラスはプレハブの2階だったから、真夏のカンカン照りの日は暑くて暑くて……。『暑いなぁ、涼しくなる方法ないかなぁ……』と志村と2人で言い合って、バケツに水を張って机の下にいれ、足を突っ込んで授業を受けたこともありました。生き返ったような心地で涼んでいたら、そんなときに限って志村は先生に当てられるんですよ。とっさに立てずに苦労していました(笑)」

 志村と過ごした高校時代は、毎日がドリフの「学園コント」のような日々だったと振り返る。「志村はいたずらばかりしていたんですよ」と、当時を思い返して楽しそうに笑った。

「高校1年のとき、高原学校で妙高高原の山小屋にバスで向かうことになりました。昔のバスですから、夏でもエアコンもなく、窓をあけて走ります。出発前に、開いた窓から肉屋を見つけた志村が突然、『おい、コショウ買っていかない?』と言い始めたんですよ。そのままバスを飛び降りてコショウを買って、窓際に座った。何をするかと思えば、バスが走り出すと後ろに向かって隠し持ったコショウを振る。窓から入ってくる風に乗って、コショウが後ろの席に広がるんです。するとたくさんのくしゃみが聞こえてきてね。あのときは笑いかみ殺すのに苦労しました」

1/4ページ

最終更新:4/1(水) 17:24
文春オンライン

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事