ここから本文です

若き日の落合博満が真正面から受けた逆風/プロ野球20世紀・不屈の物語【1979~82年】

4/4(土) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

張本勲コラム「落合博満のバッティングは誰もが見習うべきものだ」

25歳でロッテ入団

 高校を出て、すぐにプロ野球選手になるのと、大学や社会人を経由して、20歳を過ぎてからプロ野球選手になるのとで、どちらが有利か不利かは一概には言えないだろう。ただ、25歳、26歳を迎えるシーズンにプロとなるのは、やはり有利だとは思えない。そこそこのハンディキャップがあるようにも見える。ただ、そこから超一流になった選手は多くないとはいえ、存在する。そんな1人が落合博満だ。

 20世紀を経験したファンにとって、その打撃が超一流であることは説明の必要もあるまい。一方、それを知識としては持っていても、21世紀に中日に黄金時代を築いた監督、という経験しかない若きファンも多くなってきていることだろう。出る杭は打たれる、という。“オレ流”監督は、若いころから“オレ流”であり、出る杭として打たれ、それでも出続けた不屈の少年であり、若者だった。

 巨人の長嶋茂雄にあこがれ、中学で野球を始めたが、秋田工高では上下関係に嫌気がさして野球部を離れ、映画館に通い詰めていたという。ただ、完全に退部というわけではなく、大切な試合のときだけ監督が呼びにきて、四番を打った。東洋大でも、やはり上下関係に嫌気がさして、ここでは完全に退部。野球で入ったのだから大学にいても仕方がない、と大学までやめてしまった。秋田へ戻り、もともと好きだったボウリングのプロを目指すも、テストを受けるために車で向かい、スピード違反で罰金を払ったことで受験料が払えなくなって断念したとか。単に出ただけの杭であれば、これだけのことが続けば、自暴自棄に陥ったかもしれない。ただ、ちゃんと出る杭は打たれても出る。

 東芝府中で野球を再開して、2年目から四番に。プロのスカウトがあいさつに来るようにもなった。だが、今度は会社が「出せない」と道を阻まれる。しかし、それまでの意味不明な上下関係などとは違って、チームの戦力だからこその対応ではあった。会社の許可が出たのは1977年。だが、このときは逆に指名はなし。翌78年の秋、12月で25歳となる年のドラフトが最後のチャンスと感じていたという。あいさつは10球団からあった。指名したのはロッテで、3位。長嶋監督の巨人も指名に動いていたといわれるが、江川卓との契約を巡って大事件に発展した、いわゆる“江川事件”のため、巨人がドラフトをボイコット。そのままロッテへ入団することになる。

1/2ページ

最終更新:4/4(土) 11:16
週刊ベースボールONLINE

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事