名だたる戦国武将が好んだ「米食」は、現代からみてもの栄養バランスに優れたメニューが揃っている。あらためて、勝負めしから「米」のパワーを見直そう。[取材協力/永山久夫(日本人の長寿食研究会会長)、鈴木晴香(味の素KKビクトリープロジェクト科学スタッフ・管理栄養士) 撮影協力/UTUWA (tel. 03-6447-0070)]
織田信長は桶狭間の戦いで今川義元の大軍勢に奇襲をかける際、湯漬けで腹ごしらえして勝ちを収めた。湯漬けとは、冷や飯に湯をかけてサラサラと食べられるようにしたもの。天下布武への道のりは、「米」の力で動き出した。
その信長が本能寺の変で頓死した後、次なる覇権を握るべく家臣同士が対立していくなか、豊臣秀吉が切り札にしたのも「米」だった。
柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いで、別の戦のために岐阜の大垣にいた秀吉軍は、近江の木ノ本まで52kmの道のりをわずか5時間で行軍したと『川角太閤記』や『天正記』に記されている。
これほど速く移動することができた理由は、道中の村々の庄屋や大百姓たちに「倉の米を炊いて、沿道通過の兵に供せよ。後日、十倍にして返す。馬具、松明も用意せよ」と使者を出し、行軍する兵士に握り飯を食わせたから。補給路を確保して食事や休憩のために進軍を止めることなく、一気に移動して敵の柴田勝家を滅ぼした。
「農民から身を起こして天下人になった秀吉は、兵糧攻めや水攻めで人の命を無駄に奪わず敵を降参させる武器として、米を使うのが上手だった。自分の軍の米は確保して敵の米の補給は断つ。その集大成が、10万人ともいわれる軍勢で小田原城を包囲し、宴を催しながら北条氏を降伏させた戦です」
と語るのは、食文化史研究家で〈日本人の長寿食研究会〉の会長、永山久夫さん。永山さんによると、秀吉は麦飯に豆味噌を塗った握り飯を好んだ。米に麦を混ぜて炊き、握った飯に大豆100%の豆味噌(現在の八丁味噌)を塗ったものだが、質素に見えて栄養豊富。
最終更新:4/4(土) 12:02
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